令和6年12月調査報告(一ノ瀬城)

12月31日(火)・・・大晦日で忙しい人もいるというのに、調査しました。

〇一ノ瀬城 ・・・ 三重県多気郡にある中世山城です。南北朝期の縄張りをよく遺すとともに、南朝側愛洲氏の本拠として、後醍醐帝の皇子の一人、宗良親王の行宮のあった場所としても名高い。山城ファン的には源田(埼玉西武)や矢野(廣島東洋)の遊撃守備を見るぐらい、たまらんすばらしさでした。

東城と西城が連携する仕組みになっています。東城は明治末に神社合祀で出来た一ノ瀬神社が遷座しました。三重県と和歌山県は神社合祀の甚だしい地で、両県の知事の功名、神社財産(だいたいは樹木)の払い下げや神域の分割を狙う地元有力民、業者・ブローカーなどの暗躍度がすごかったのだと思われます。三重県では、延喜式式内社が多数(数百社単位)で合祀されてしまいました。カネのためだからしようがないので、カネを妨げる神仏などジゴクにでも行ってしまえ、という合理性は日本人らしい・・・かも。

神社裏の山が東城。神社遷座100年を記念して城跡が整備されて、道、階段、立札、参考資料配布などたいへん散策しやすくなっています。これは空堀と土塁の遺構です。

主郭です。

神社本殿からみると主郭とは逆側の「見張り台」といわれる岩山に、「宗良親王遺蹟」という昭和9年に県知事が建てた碑が遺っています。この岩の上からは、繁みを通して一ノ瀬川が瞰制できます。

右側の東城から左の方の西城に向かいます。こちらは山頂から西に向かって尾根筋に曲輪が延びています。

麓にある向井将監館跡。

山頂部の空堀と主郭(昇ったところ)。ここから西に向けて堀切と曲輪が続く。かもしか類のふんを見つけました。木の幹を削ったりしてないのでクマーはいないのかも。

いやー、よかったね。

〇乙女岩 ・・・ 一ノ瀬のさらに奥にあるロッククライミングで少しは有名な岩らしいです。「乙女」はおそらくは近くに倭媛山があることから、「お留め」(狩猟禁止か立入禁止)の趣意でしょう。

鎖に頼って岩に昇ってみました。よく見えます。

だそうです。

今年はこれでおしまい。

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