周徳既衰(周の徳、既に衰う)(「後漢書」)
今や衰亡国家です猫(ね、こ)の国は。

すごく役に立つね、この手、ニャ。
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たいへんな昔のお話です。
交阯国(今のベトナム北部か)というのは子どもを食ったりするひどい国だったんですが、そこの人民は現代「烏滸人」(おこじん)と呼ばれています。おろか者を「烏滸ですなあ」という、あの「烏滸」の語源となっております。
交阯之南有越裳国。
交阯の南に越裳(えつしょう)国有り。
この交阯の南(ベトナム南部あたりでしょうか)に「越裳」という国があった。
黄河流域の中原地方では、紀元前11世紀に周王国が成立、第二代の成王を助けて周公が摂政となって、
制礼作楽、天下和平。越裳以三象、重訳而献上白雉。
礼を制し楽を作り、天下和平す。越裳、三象を以て、重訳して白雉を献上す。
あたらしい仕来たりを作り、儀式の際に奏すべき音楽を定め、天下は平和でひとびとは和やかとなった。
そんなある日、越裳国は、三頭の象に荷物を載せて、二段階の通訳に訳させながら、白雉を献上しに来た。
白いキジは太平のしるしとされます。
使いの者が通訳を通じて言ったところでは、
道路悠遠、山川岨深、音使不通、故重訳而朝。
道路悠遠にして山川岨深、音使通ぜず、故に重訳して朝せり。
―――その国までの道路ははるかに遠く、険しい山や深い川が立ちふさがり、言葉は通じませんから、二段階の通訳を連れて、朝貢しにまいったのでございます。
幼い成王は、
以帰周公。
以て周公に帰す。
「(そんな遠い国から朝貢に来てくれるなんて、)周公(叔父に当たる)が我が国を強い国にしてくれたおかげだね」と周公の手柄にして、白雉を周公に賜った。
周公は言った、
徳不加焉、則君子不饗其質、政不施焉、則君子不臣其人。吾何以獲此賜也。
徳加えざれば、君子はその質を饗(う)けず、政施さざれば、君子はその人を臣とせず。吾何を以てこの賜を獲んや。
「わたしはこのように聴いております。
徳を加えた相手でなければ、君子は他人からの贈り物を受け取ることはない。
行政の対象として生活の向上を図るのでなければ、君子は他人を臣下にはしない。
と。わたしは(特に政治の対象にしたことの無い越裳国からの)このプレゼントをいただくわけにはまいりません」
その使者は、二人がどのような会話をしているのか、おおよそ想像がついたようで、特に発言を求めて、言った。
吾受命、吾国之黄耇曰、久矣。天之無烈風雷雨。意者中国有聖人乎。有則蓋往朝之。
吾、命を受くるに、吾が国の黄耇(こうこう)曰く、「久しきかな。天の烈風雷雨無きこと。意(おも)うに、中国に聖人有らんか。有ればすなわちなんぞ往きてこれに朝せざる」と。
わたくしが使者となるよう命令を受けました時、わが国の長老たち(髪の黄色くなった耇(としより))はこう申しました。
「ずいぶん以前から、天候に激しい風と雷雨が無くなっている。思うに、中つ国(中原)に聖人が出現されたのではなかろうか。もし出現しておられたなら、なぜ使いを出して朝貢しないのじゃ?」
と。
これを聞いて、
周公帰之於王。
周公、これを王に帰す。
周公は、「(外交や行政の問題ではなく、徳の問題でしたら、)これは、王のお手柄ですぞ」と言って、白雉を差し上げた。
その後、
称先王之神致、以薦于宗廟。
先王の神致を称(たた)え、以て宗廟に薦む。
文王・武王など代々の王の神秘的な力がこの結果を生んだのであろうと賞賛し、ご先祖たちを祀る廟堂に、白雉を犠牲にしてご報告した。
ところが、その後、越裳国からの使者は来なくなった。
周徳既衰、於是稍絶。
周徳既に衰え、ここにおいてやや絶す。
(周公や成王が亡くなったころから)周王国の「徳」が衰えたので、このために来なくなってしまったのであろう。
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「後漢書」巻七十六「南蛮西南夷列伝」より。周王国は「徳」の低下から凋落国家になったようです。現代では「経済対策」や「安全確保」がうまく行けば大丈夫かも知れませんネコの国も。うまく行けばいいのですが。
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