無不徴験(徴験せざる無し)(「録異記」)
もう行ってるかも知れませんが、まだ行ってないひとは初詣に行くといいですよ。

メシ食わせろ、とあつまるネズミ。しかし、この欺瞞と詐術に満ちた社会では、あんまり純朴に集合していると一網打尽かもでちゅー。
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四川・遂州の岷江沿いに唐村という村があった。
いずれの時代であろうか、古い古い昔、
有一人寛衣大袖著古冠幘立於道左、与村人語。
一人、寛衣・大袖にして古冠幘を著し、道左に立ちて村人と語る有りき。
見慣れない人が、ぶかぶかの衣で袖の大きいのを着て、古ぼけた冠と頭巾を付け、村から出ていく道の左側に立って、村人に声をかけてきたのじゃった。
普通の田舎者の村人の姿ではない。
その人曰く、
旧有廟在下流十余里、因水摧壊。
旧(もと)下流十余里に廟有るも、水に因りて摧壊せらる。
―――これまで、ここから6~7キロ下流にわしを祀るお堂があったんじゃが、この間の大水で壊れてしまったんじゃ。
唐代の一里≒560メートル、で緻密に計算してみました。日本酒の輸出量を緻密に計算している人もいるので。
「ほう」「そうだべか」
今形像泝流而上、即将至矣。
今、形像、流れを泝(さか)のぼり上がりて、即ちまさに至らんとするなり。
―――大水のせいでわしの木像が、流れを遡って来て、まもなくここに着くところなんじゃ。
「ほう」「それはそれは」
汝可于此為我立廟。
汝、ここに我がために廟を立つるも可なり。
―――おまえさんらは、ここに(と彼は立っている場所を指さした)わしのためのお堂を作ってくれてもかまわんぞ。
「はあ?」「おまえさんは誰だべ?」
と訊くと、
我鍾離大王也。
我は鍾離大王なり。
わしは、ショウリ大王じゃよ。
「はあ?」「どこの?」
と聞き直そうとしたときには、もうその人の姿は見えなかった。
まことに不思議なことだと思い、純朴な村人らは早速、
詣江視之、得一木人、長数尺。
江に詣りてこれを視るに、一木人の長さ数尺なるを得たり。
川のほとりまで行って探してみたところ、60~70センチぐらいの一体の木像が流れ着いているのを発見した。
もう古い木像であり、しかも水の中であちこちぶつかって来たのか、形は判然としないのだが、なんとなく先ほどの人とよく似た姿にも見えた。
村人らは、
遂于所見処立廟、号唐村神。
遂に見るところの処に廟を立て、唐村神と号せり。
とうとう、その人が出現した場所にお堂を立てて、「唐村の神さま」と名付けた。
至今水旱祷祈無不徴験。
今に至るも水旱に祷祈するに徴験せざる無し。
それ以来、現代(五代の末)に至るまで、雨の続いた時、日照りの続いた時に村人らが祈祷すると、願い通りにならないことは無いのである(必ず願い通りになってきたのだ)。
或云初見時似道流形。
或いは云う、初見の時は道流の形に似たり、と。
はじめて出現した時は道士のかっこうであったらしい、という言い伝えもある。
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五代・杜光庭「録異記」巻四より。流れ着いたのは五代以前、唐の時代のことなのでしょう。明代以降はどんな田舎ものでも、八仙の一人で、ぶかぶかの衣を着ている剣の名人、
鍾離権さまだ!!!!
と分かって腰を抜かした・・・に違いないのですが、まだ八仙信仰が確立していない時代なので、あまり驚いてもらえなかったようです。また、道士の格好をしていた、とすると、鍾離権とは別の「鍾離〇〇」という神さまだったのかも知れません。
この神さまでも祈れば願い通りにならないことが無い、必ずある、というのですから、まだ初詣に行ってないひとは、どこかに行って本年の安全と息災を祈るといいと思います。景気向上、消費減税、世界平和などは無理かも知れませんが・・・。
ウシは何の景品か知りたいですよね。

発想がイカしてるでモー。
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