1月3日 純朴な人にはいいことがあると思います

無不徴験(徴験せざる無し)(「録異記」)

もう行ってるかも知れませんが、まだ行ってないひとは初詣に行くといいですよ。

メシ食わせろ、とあつまるネズミ。しかし、この欺瞞と詐術に満ちた社会では、あんまり純朴に集合していると一網打尽かもでちゅー。

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四川・遂州の岷江沿いに唐村という村があった。

いずれの時代であろうか、古い古い昔、

有一人寛衣大袖著古冠幘立於道左、与村人語。

普通の田舎者の村人の姿ではない。

その人曰く、

旧有廟在下流十余里、因水摧壊。

唐代の一里≒560メートル、で緻密に計算してみました。日本酒の輸出量を緻密に計算している人もいるので。

「ほう」「そうだべか」

今形像泝流而上、即将至矣。

「ほう」「それはそれは」

汝可于此為我立廟。

「はあ?」「おまえさんは誰だべ?」

と訊くと、

我鍾離大王也。

「はあ?」「どこの?」

と聞き直そうとしたときには、もうその人の姿は見えなかった。

まことに不思議なことだと思い、純朴な村人らは早速、

詣江視之、得一木人、長数尺。

もう古い木像であり、しかも水の中であちこちぶつかって来たのか、形は判然としないのだが、なんとなく先ほどの人とよく似た姿にも見えた。

村人らは、

遂于所見処立廟、号唐村神。

至今水旱祷祈無不徴験。

或云初見時似道流形。

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五代・杜光庭「録異記」巻四より。流れ着いたのは五代以前、唐の時代のことなのでしょう。明代以降はどんな田舎ものでも、八仙の一人で、ぶかぶかの衣を着ている剣の名人、

と分かって腰を抜かした・・・に違いないのですが、まだ八仙信仰が確立していない時代なので、あまり驚いてもらえなかったようです。また、道士の格好をしていた、とすると、鍾離権とは別の「鍾離〇〇」という神さまだったのかも知れません。

この神さまでも祈れば願い通りにならないことが無い、必ずある、というのですから、まだ初詣に行ってないひとは、どこかに行って本年の安全と息災を祈るといいと思います。景気向上、消費減税、世界平和などは無理かも知れませんが・・・。

ウシは何の景品か知りたいですよね。

発想がイカしてるでモー。

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