畏舟之危(舟の危うきを畏る)(「風俗通」)
心配でしようがない人は飛び込みましょう。さすれば道は開けることもある?
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後漢の皇甫規という人は、中郎将、督并・涼・益三州の高官であったが、桓帝の延熹九年(158)に起こった党錮の禁(宦官勢力が正義派の政治家たちを追放、一部を死罪に処した事件)の際、
自上言。
自ら上言す。
自ら、上奏して言った。
臣前荐故太常張煥、才任将帥。是附党也。
臣、故(もと)の太常・張煥を荐(しきり)に前(すす)め、ついに将帥に任ぜらる。これ、党に附するなり。
わたくしめは、先の祭祀長・張煥を何度も(自分の後任に)推薦いたしましたが、なんとか将軍にしていただきました。これは、(張煥は正義派ですから)わたくしめが正義派に味方していたことになると思います。
又、臣論輸左校、時太学生張鳳等上書訟臣、是為党人所附也。
また、臣の左校に論輸さるるに、時に太学生・張鳳等上書して臣を訟う、これ党人に附するところとさるるなり。
また、わたくしめが、左校(牢獄の一つ)に放り込まれて罪を論じられた時、太学生・張鳳ら正義派の論客が皇帝に抗議書を提出して、わたくしめを罪の問うことを止めるように訴えました。これは正義派のやつらから、味方されたということになると思います。
正義派に味方し、また味方されてしまったのですから、わたくしめも正義派の党人(徒党を組んで謀反を考えたグループ)と疑われて当然です。
昔有畏舟之危而自投水者。蓋憂難与処、楽其亟決。
昔、舟の危うきを畏れて自ら水に投ずる者有り。けだし憂難に処するより、その亟決を楽しむなり。
むかし、舟に乗ると危険なことが起こりうると心配して、自ら水に身を投げて死んでしまった者があったと聞きます。これは、苦しい心配事に対処するより、結論を出してしまった方が楽だ、という考え方であったのであります。
(自分もそのように心配するよりは、処罰されてしまった方が楽だと考えて、今回申し出たのであります。)
これに対し、「後漢書」皇甫規伝によれば、
朝廷知而不問、時人以為規賢。
朝廷知りて問わず、時人以て規を賢なりと為す。
時の政権は事実を知りながら、皇甫規を罪に問わなかった(正義派の処罰には、表向きは、謀反の共同謀議などの罪状を問うていたので、このように言明した皇甫規を罰してしまうと、単なる正義派の追い落とし運動である、と明らかになってしまうから、のようです)。このため、同時代人たちは、皇甫規のやり方を賢いと評価したのである。
という。
しかし、彼の行動は、
誘巧、詐也、畏舟、慢也、殺決可也。
誘巧にして詐なり、舟を畏るは慢なり、殺に決して可なり。
たくみに誘って人を詐わり、舟の危険を恐れたというのは責任逃れである。死刑にしてよろしかろう。
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後漢・応劭「風俗通」巻四(過誉篇)より。当時、「賢い行動」と言われた事案を、(責任のない)応劭が「みんなはほめ過ぎ、わたしは死刑でいいと思う」と私に裁判した文章です。それはそれで「ああそうですか、ほうほう」と聞いておけばいいのですが、
舟の危うきを畏れて自ら水に投ず
舟に乗ると危険なことが起こりうると心配して、自ら水に身を投げて死んでしまう
という譬えは、たいへん勉強になりますね。今年はこういうことの無いように賢く振る舞いたい・・・ものです。

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