1月2日 初夢は縁起がよくてよかった(願望)

畏舟之危(舟の危うきを畏る)(「風俗通」)

心配でしようがない人は飛び込みましょう。さすれば道は開けることもある?

ふっふっふ、福禄寿じゃ。でかいウシの置物が当たったり、景気予測が的中するような、縁起のいい初夢をみたいものじゃ。

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後漢の皇甫規という人は、中郎将、督并・涼・益三州の高官であったが、桓帝の延熹九年(158)に起こった党錮の禁(宦官勢力が正義派の政治家たちを追放、一部を死罪に処した事件)の際、

自上言。

臣前荐故太常張煥、才任将帥。是附党也。

又、臣論輸左校、時太学生張鳳等上書訟臣、是為党人所附也。

正義派に味方し、また味方されてしまったのですから、わたくしめも正義派の党人(徒党を組んで謀反を考えたグループ)と疑われて当然です。

昔有畏舟之危而自投水者。蓋憂難与処、楽其亟決。

(自分もそのように心配するよりは、処罰されてしまった方が楽だと考えて、今回申し出たのであります。)

これに対し、「後漢書」皇甫規伝によれば、

朝廷知而不問、時人以為規賢。

という。

しかし、彼の行動は、

誘巧、詐也、畏舟、慢也、殺決可也。

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後漢・応劭「風俗通」巻四(過誉篇)より。当時、「賢い行動」と言われた事案を、(責任のない)応劭が「みんなはほめ過ぎ、わたしは死刑でいいと思う」と私に裁判した文章です。それはそれで「ああそうですか、ほうほう」と聞いておけばいいのですが、

という譬えは、たいへん勉強になりますね。今年はこういうことの無いように賢く振る舞いたい・・・ものです。

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