12月31日 もう終わりだ、いろいろ

曲則全(曲なればすなわち全なり)(「老子」)

年末は、少し不気味な老子的言語空間で終わりたいと思います。

「おれたちも十二支の中では不気味な方だロン」「生態的に仲良しでにょろん」

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曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新、少則得、多則惑。

この「曲」は単に「曲がっている」ではなく、あちこちにへこみや欠けがあって完全なものではない、という意味です。「枉」は「枉がる、曲がる」。また、それぞれの「A則B」の後ろに「ことができる」を加えるとわかりやすい(と注釈にあります)。

不健康な生活があるから健康管理できる?のかも知れません。
これ(足らないと完全になれる、足りているとダメになる)が世界のルールなのだ。

是以聖人抱一、為天下式。

「一」を「あれ」と訳してみましたが、「あれ」は「道」のことだ、という注釈があります。

天下の模範とはどういうものか。

不自見、故明。不自是、故彰。不自伐、故有功。不自矜、故長。夫唯不争、故天下莫能与之争。

ということですから、

古之所謂曲則全者、豈虚言哉。誠全而帰之。

老子よりさらに古代の人の言葉だったんですね。

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「老子」第二十二章。「なんじゃこれ?」と思ったと思います。わたしも思いますが、ガマンして「なるほどなあ」と納得・・・してみましょう。これからどんどんいいことあるかも。

去年今年つらぬく棒のごときもの (高浜虚子) (←これも「なんじゃこれ?」ですよね)

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