離楚愈遠(楚を離るること愈々遠し)(「戦国策」)
年末が近づいてまいりました。君子は数日前には年賀状も書き終えたことでしょう。書き終えてないひとはこれから出す愚者かもう出さない賢者・・・かも知れません。みなさん、今年はどんな一年でしたか。

機関車トンプソンだ。彼には守るべきものなど一つもない。北でも南でも突き進むぜ。
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戦国・魏の安釐王(あんき・おう。在位前276~前243)が趙の邯鄲を攻めようと謀った。
重臣の季梁は使いに出ていて謀議に与かっていなかったが、
聞之、中道而反。衣焦不申、頭塵不去、往見王。
これを聞き、中道にして反る。衣焦(や)けて申(の)ばさず、頭塵去らずして往きて王を見る。
王の動きを耳にして、職務を投げ出して途中から帰朝した。そして、日に焼けてしわしわになった衣服のままで、頭に着いた土埃さえ払わずに、王宮に行って王に面会した。
面会して申し上げた。
今者臣来、見人於大行。方北面而持其駕、告臣曰、我欲之楚。
今、臣来たるに、人を大行に見る。まさに北面してその駕を持し、臣に告げて曰く「我、楚に之(ゆ)かんと欲す」と。
今、わたくしがここに来ます途中で、大通りで知り合いに会いました。そいつは北の方に向けて馬車を発車させようとしながら、わたくしに向かって言いました。「わしはこれから楚に行ってきますぞ」
と。
楚は南方です。わたくしはその人に言った、
君之楚、将奚為北面。
君、楚に之くに、まさに奚(なん)ぞ、北面を為す。
「おまえさん、楚に行くのに、どうしてまた北の方に行こうとしているのじゃ?」
その人は言った、
吾馬良。
吾が馬良し。
「だいじょうぶ。このウマたちは元気なウマですから」
わたしは言いました、
馬雖良、此非楚之路也。
馬良なりといえども、これ楚の路に非ず。
「ウマは元気かも知れませんが、そちらは楚に行く道ではありません」
吾用多。
吾、用多し。
この「用」は「旅のために用いるモノ」すなわち「費用」のことです。
「だいじょうぶ。旅費もたっぷりありますぞ」
用雖多、此非楚之路也。
用多しといえども、これ楚の路に非ず。
「旅費はたっぷりあるかも知れませんが、そちらは楚に行く道ではありません」
吾御者善。
吾が御者善なり。
「だいじょうぶ。なんといっても御者は有能ですぞ」
ああ。
此数者愈善、而離楚愈遠耳。
この数者いよいよ善にして楚を離るることいよいよ遠きのみ。
以上のいくつかの点は、よければよいほど、楚から離れてどんどん遠くに行ってしまうだけでございます。
さて。
今王動欲成覇王、挙欲信於天下、恃王国之大、兵之精鋭、而攻邯鄲、以広地尊名。
今、王、動きて覇王に成らんとし、挙げて天下に信ぜられんとし、王国の大、兵の精鋭を恃みて邯鄲を攻め、以て地を広げ名を尊ばれんとす。
今、王さまは、行動を起こして(趙を攻め)覇王になろうとしておられます。一挙にして天下に(有力な君主として)信用されようとしておられます。王さまの国が大きく、軍が精鋭であることを頼みにして邯鄲(趙)を攻め、それによって領地を広げ、名を揚げようということでございましょう。
王之動愈数、而離王愈遠耳。猶至楚而北行也。
王の動いよいよ数(しばしば)にして、王を離るることいよいよ遠きのみ。楚に至らんとして北行するがごときなり。
王さまは行動を起こしていろんなことをすればするほど、覇王となることからどんどん遠ざかっているだけでございます。楚に行こうとして北方に向かうのと同じことである、とどうして気づきなさらぬか!
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「戦国策」魏策より。王さまはいろいろ考えないといけないこともあるので、一概にオロカものとは言い難いでしょう。しかし、大通りであったひとはオロカな人だなあ。こんなふうになってはいけな・・・いや、この一年、みなさんもずいぶん北に進んでしまっていませんか。年末なので、立ち止まって考えてみましょう。
韓国で航空機事故が。原因解明はこれからだと思うのですが、単なるバードストライクでほんとにこんなことになるのか。
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