晨起貴早(晨起には早きを貴ぶ)(「州県提要」)
いいもの入手しました。中国史学基本典籍叢刊「宋代官箴書五種」(中華書局2019)です。チャイナで出た新刊本は国力の低下に伴って日本円ではどんどん高くなってしまって、在野の年寄には手が出ずらいので、今年買った二冊目の新刊本ではないかと思います。この本は宋代の役人が書いた、五種の役人マニュアルものを集めたもの。若いビジネスパーソンたちに説教するのに役に立ちそうですぞ。ひっひっひっひっひ・・・。

みんな仕事好きで、朝から晩までしてるんじゃないの? ・・・悪い悪い、わしはエリートなんで他のひとの気持ちはわからんかったんじゃよ。
十七条憲法にも「群卿百寮、早朝晏退」(群卿百寮は早く朝し晏(おそ)く退け)(第八条)と書いてしまったのう、シチズンの時計つけてがんばってくれたまえ。ほっほっほ。(ほんものはこんなイヤミな人ではないと思います。念のため)。
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今日はその中から、「州県提要」の一節を読んでみましょう。
凡当繁劇、要須遇鶏鳴即起。行之有常、則凡事日未昃倶弁。而一日優游閑暇矣。
およそ繁劇に当たりては、須らく鶏鳴に遇いて即ち起きることを要す。これを行いて常有らば、すなわち凡事は日のいまだ昃せざるにともに弁ぜん。しかれば一日閑暇を優游す。
忙しい時には、ニワトリの声と同時に起き出して仕事をすることが必要である。そして、これを(通常の時にも)常態にすれば、たいていのことは日がまだ西に傾かないうち、すなわち午前中にすべて終わってしまうことになるだろう。そうすれば、一日(実際には午後の半日ですが)の間、暇を持て余してゆったりと遊ぶことができるではないか。
「昃」(そく)は「日が西に傾く」「日食か何かで暗くなる」の意、ここでは午後を指しています。
ところが、
倦於起早、或遇賓客過従、往来迎送、奪其日力、則一日之事倶不弁。
起早に倦み、あるいは賓客の過ぐるに遇いて従い、往来迎送して、その日力を奪わるれば、すなわち一日の事ともに弁ぜざらん。
早起きするのも面倒だし、あるいは偉いお客さんが管内をお通り過ぎになるというので、行ったり来たりお迎えしたりお見送りしたりで、その日の働きを奪われてしまうと、この一日にしなければならなかったことをすべてし遂げられずに終わってしまうわけだ。
一日之事不弁、則明日之事益多。
一日の事弁じざれば、すなわち明日の事ますます多からん。
その日に起こったことを仕遂げられなかったら、翌日の仕事がどんどん多くなるだけである。
況凌晨神気清爽、心無昏乱、故早起亦為官第一策。
いわんや凌晨は神気清爽にして心に昏乱無く、故に早起するはまた官を為すの第一策なり。
それだけではなく、気持ちのいい朝は、精神もすがすがしく爽やかで、心に暗いところ乱れたところが無いわけだから、早起きすることはやはり役人業の第一の作戦と言えよう。
はいはい。
昔魯文伯母言、卿大夫一日勤事之節、曰朝考其職。然則古人亦審此久矣。
昔、魯の文伯の母、卿大夫一日勤事の節に言いて曰く、「朝その職を考う」と。然れば則ち古人またこれを審らかにするや久しきかな。
むかしむかし、魯の文伯のおふくろが、大臣の一日の仕事について語った一節の中に、「朝には仕事の筋道を考える」という言葉がある。そうだとすると、昔の人のころから、やはり、朝仕事をすることの有利さについて、研究されてきたことがわかるのである。
「魯の文伯の母」と言われている人は、春秋の時代、孔子とほぼ同じころの、魯季敬姜(魯の季の敬姜)という女性です。もと魯の附庸(属国)である莒(きょ)の貴族の女で、魯の貴族・季孫氏の公父穆伯の妻となり、文伯を生んだ。彼女の数々の賢母エピソードは漢・劉向の「列女伝」巻一に詳しいのですが(読むと、おふくろの偉さより、叱られて反省する息子の文伯が素直でいいやつで感心します)、上で述べられている節は、文伯が成長して魯の相(筆頭大臣)になった後、
退朝、朝敬姜、敬姜方績。
朝を退きて敬姜に朝するに、敬姜まさに績めり。
政府の会議から帰ってきて、おふくろに帰宅の挨拶をしに行ったところ、おふくろの敬姜はちょうど糸を紡いでいるところであった。
文伯は、「なんとか貴族の末席を汚している程度の我が家とはいえ、おふくろにこんなに働かせていたら季孫氏の祖先に叱られます。あんまり働かないでください」と言ったので、おふくろが、
魯其亡乎。使吾子備官。而未之聞耶。
魯はそれ亡びんか。吾が子をして官に備えしむるとは。而(なんじ)、いまだこれを聞かざるか。
「あれ、魯の国はもう滅びますぞえ。こんな我が子を役人にしているなんて。おまえはまだこの話を聴いたことがないんだねえ・・・」
と言って、長い長い(ほんとに)説教を始めますが、その中に、
卿大夫、朝考其職、昼講其庶政、夕序其業、夜修其家事、而後即安。
卿大夫は、朝にその職を考え、昼にその庶政を講じ、夕べにその業を序し、夜にその家事を修めて、しかる後に即ち安んず。
「大臣クラスの重臣というのはね、朝には今日の仕事をどうするか考える。昼にはもろもろの政治事務を処理する。夕方には明日の仕事の順序を整理をする。夜になってから自分の家の諸事案を片づける。そうしてやっと自分の時間を持つものなのです」
と言っている部分が上に引用されているところです。
長い説教の間も、息子の文伯は
「うるせえ! くそばばあ!」
とも言わずに最後まで聴いて、謝罪して引き下がるのだからえらいものでございます。
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宋・佚名「州県提要」巻一より。むむむ。なかなか厳しいではありませんか。ビジネスパーソンはニワトリぐらい早起きしなければならないとは。若いころに読まなくてよかった。若いもんが本気にしたりするとまわりの人の迷惑もあると思うので、この章を説教に使うのは止めておこう、と。
こたつで丸くなっているネコとか、弱いものにだけ吼えるイヌとか、果樹や畑を荒らすサルとかよりは、素直でおとなしい若いもんの方がましとも思えます。
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