12月24日 東方の三博士も寒かったでしょう

冥吏誤追(冥吏、誤りて追う)(「東坡志林」)

寒いです。こんな夜にエンマのところまで呼び出されたらかなわんでしょうね。

出張旅費がつくようなら、わしの方からこちらに来てもいいのだが・・・。

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蘇東坡先生の役所で、

今年三月、有書吏陳昱者暴死。

そして、

三日而蘇。

死後になにがあったか訊いてみました。以下、陳昱の供述―――

死んだあとしばらくして、

初見壁有孔。

ぼんやりとその穴を見ていますと、向こう側に誰かが来たみたいで、その人が何かを穴のこちら側に投げ込みました。それがどんどん変化して人間の形を取り始め、さらによく見たら死んだ姉さんでした。姉さんが言うには、

冥吏追汝、使我先。

言い終わると、いきなりわたしの手を摑んで、ぐい、と引っ張ったので、わたしはその穴から向こう側に飛び出しました。

すると、その吏(あの世の役人)が傍に居り、まわりは

昏黒如夜、極望有明処、空有橋。

橋のたもとでひとびとは係の者に泥製の銭を渡していた。橋はたいへん高く、それに昇っていくのは一握りの人で、あとは橋の下を通って行くのである。

「おまえはこっちだ」

と言われるままに、

昱行橋下、然猶有在下者、或為鳥鵲所啄。

しばらく行くと、また橋があった。ここでは人々は、紙銭を使っていた。

渡り切ると、

有吏坐曹十余人、以状及紙銭至者、吏輒刻除之、如抽貫然。

やがて陳昱の順番が来て、奥の部屋に連れていかれた。

已見冥官、則陳襄述古也。

「陳襄ではないか」

と訊くより早く、

何故殺乳母。

と問われた。

無之。

「連れてこい」

被害者という乳母が連れてこられた。

血被面、抱嬰児、熟視昱、曰、非此人也。乃門下吏陳周。

釈放されることになったのですが、(陳襄と思われる役人は)同情して、

路遠、当給竹馬。

と言ってくれたし、他の、あの世でも陳昱同様に下役人をしているらしい書吏たちは、

検己籍、示之、年六十九、官左班殿直。

また言うには、

以平生不焼香、故不甚寿。

と。また、

吾輩更此一報、即不同矣。意謂当超也。

帰りは目新しいものは特に無かったが、

道見追陳周往。既蘇。

人をやって確かめてみると、

周果死。

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宋・蘇東坡「東坡志林」巻三より。一か月に一回ぐらいはこういう話しておかないと、こういう話に興味ないと思われてしまうといけないので、しました。世の中には、クリスマス・イブだからプレゼントをもらっている人もいることでしょう。中には寿命のプレゼントもあるかも。ミサか、少なくともパーティに行ける人でないとダメですが。

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