冥吏誤追(冥吏、誤りて追う)(「東坡志林」)
寒いです。こんな夜にエンマのところまで呼び出されたらかなわんでしょうね。

出張旅費がつくようなら、わしの方からこちらに来てもいいのだが・・・。
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蘇東坡先生の役所で、
今年三月、有書吏陳昱者暴死。
今年三月、書吏の陳昱(ちんいく)なる者、暴死せり。
今年の三月、下書き担当の陳昱というやつが、突然死した。
そして、
三日而蘇。
三日にして蘇える。
三日で生き返った。
死後になにがあったか訊いてみました。以下、陳昱の供述―――
死んだあとしばらくして、
初見壁有孔。
初め、壁に孔有るを見る。
最初は、壁のところに穴があるなあ、というのに気づきました。
ぼんやりとその穴を見ていますと、向こう側に誰かが来たみたいで、その人が何かを穴のこちら側に投げ込みました。それがどんどん変化して人間の形を取り始め、さらによく見たら死んだ姉さんでした。姉さんが言うには、
冥吏追汝、使我先。
冥吏なんじを追い、我をして先んぜしめたり。
「あの世のお役人がおまえを探しているのさ。あたしに案内しろというんでここまで来たんだ」
言い終わると、いきなりわたしの手を摑んで、ぐい、と引っ張ったので、わたしはその穴から向こう側に飛び出しました。
すると、その吏(あの世の役人)が傍に居り、まわりは
昏黒如夜、極望有明処、空有橋。
昏黒夜の如く、極望するに明処有りて、空に橋有り。
闇夜のように真っ暗であるが、ずっと向こうに明るいところが一点だけあって、そこはずっと高いところに橋があるのだった。
橋のたもとでひとびとは係の者に泥製の銭を渡していた。橋はたいへん高く、それに昇っていくのは一握りの人で、あとは橋の下を通って行くのである。
「おまえはこっちだ」
と言われるままに、
昱行橋下、然猶有在下者、或為鳥鵲所啄。
昱は橋下を行くに、然るになお在下の者有り、或いは鳥鵲の啄ばむところと為る。
陳昱は橋の下を通って行ったのだが、気づくと、さらに下を行っている人もいるのだった。彼らは(小さくて弱く)鳥やカササギに突っつかれて大変なのだ。
しばらく行くと、また橋があった。ここでは人々は、紙銭を使っていた。
渡り切ると、
有吏坐曹十余人、以状及紙銭至者、吏輒刻除之、如抽貫然。
吏の曹に坐する十余人有り、状及び紙銭の至る者を以て、吏すなわちこれを刻除すること、抽貫するが如く然り。
役所の部屋に座って順番を待っている者が十数人いて、どこかからの書状や紙銭が届けられると、その中の誰かがどこかに、引き抜かれて連れて行かれてしまうようである。
やがて陳昱の順番が来て、奥の部屋に連れていかれた。
已見冥官、則陳襄述古也。
すでに冥官を見るに、すなわち陳襄・述古なり。
そこにいるあの世のお役人を見たところ、古い知り合い(あるいは親類?)の陳襄(字・述古)であった。
「陳襄ではないか」
と訊くより早く、
何故殺乳母。
何故に乳母を殺せる。
「どうして子どもにつけてあった乳母を殺したのだ?」
と問われた。
無之。
これ無し。
「そんなことはしていない」
「連れてこい」
被害者という乳母が連れてこられた。
血被面、抱嬰児、熟視昱、曰、非此人也。乃門下吏陳周。
血、面を被い、嬰児を抱きて、昱を熟視して、曰く「この人に非ざるなり。すなわち門下吏の陳周なり」と。
顔中血だらけで、赤ん坊を抱いたまま、昱をじろじろ見て、言った、
「この人ではありません門下省の下役人の陳周が犯人なんです」
そのあとは急に取り扱いが丁寧になりました。
釈放されることになったのですが、(陳襄と思われる役人は)同情して、
路遠、当給竹馬。
路通し、まさに竹馬を給すべし。
「帰り道はなかなか遠いですからなあ、おい、この人に「竹製のウマ」をご用意しろ」
と言ってくれたし、他の、あの世でも陳昱同様に下役人をしているらしい書吏たちは、
検己籍、示之、年六十九、官左班殿直。
己の籍を検してこれを示すに、年六十九、官は左班殿直なり、と。
わたしの名前のところを調べて見せてくれた。それによると、寿命は六十九歳、そのときまでに左班の殿直(交代で下働きをする住み込み職員)にはなるようである。
また言うには、
以平生不焼香、故不甚寿。
平生に焼香せざるを以て、故に甚だしくは寿ならず。
「普段からお焼香をあげていないから、あんまり寿命は長くないんですよね」
と。また、
吾輩更此一報、即不同矣。意謂当超也。
吾が輩、この一報を更すれば、即ち同じからざるなり、と。意は、まさに超ゆべしとの謂いならん。
「わたしどもがこの調書を少し書き換えれば、違う人生が開けてくるんです」と言うのであった。言うこころは、寿命が予定より長くなるようにしてあげますぞ、ということであろう。
帰りは目新しいものは特に無かったが、
道見追陳周往。既蘇。
道に陳周の追われ往くを見ゆ。既に蘇える。
途中で陳周が冥吏に追い立てられて行くのを見た。それから生き返ったんです。
人をやって確かめてみると、
周果死。
周果たして死せり。
確かに、陳周はもう死んでいた。
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宋・蘇東坡「東坡志林」巻三より。一か月に一回ぐらいはこういう話しておかないと、こういう話に興味ないと思われてしまうといけないので、しました。世の中には、クリスマス・イブだからプレゼントをもらっている人もいることでしょう。中には寿命のプレゼントもあるかも。ミサか、少なくともパーティに行ける人でないとダメですが。
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