12月9日 文字が読めなくなってきました

犇麤二字(犇麤(ほん・そ)二字)(「桯史」)

こんな字、老眼で読めません。「ほん」と「そ」というんですか。ああもっと若いころならなあ、簡単に読めたのになあ。

忙しいとはウシの風上にも置けぬでモー。

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北宋のころですが、王安石は宰相として実権を握っていたとき、「字説」という自家製の字書を作って、

行之天下。

権力を奮って読ませる、というより、自信過剰でかつ使命感の異常に強い人なので、自分の説は絶対正しい、それを国中のみんなにも教えてやりたい、という気持ちだったのだろうと思われます。それにしても科挙試験もこの「字説」を基にして答えるように、というので、各地で混乱を惹起した。

「字説」は今遺っていないので読んだことがないのですが、例えば「波」という字は、「水の皮」である、水の表面の動きだから、といったかなり強引な説が多かったということです。これに対して、

では「滑」は水の骨なのか。

という問いが出されて、王安石は激怒したと言われております。

さて、当時、まだ若いころの蘇東坡が翰林院にいて、

一日因見而及之。

「うーん・・・」

と首をひねって言った、

丞相賾微窅窮制作、某不敢知、独恐毎毎牽附、学者承風、有不勝其鑿者。

と、いかにも蘇東坡らしい、にやりとしてしまいそうな皮肉ですね。

姑以犇麤二字言之。

「犇」(ほん)は「牛」三つから成りますが、「奔」と同じで、「うごめく、さわぐ、走り回る」というった意味になります。「麤」(そ)は「鹿」が三つ、「麁」(そ)の別字で、「鹿はある程度の距離を置く」ことから「はなればなれ」、「粗」と通じて「あらい、大まかである」と言う意味になります。

牛之体壮於鹿、鹿之行速於牛、今積三為字而其義皆反之、何也。

「牛牛牛」が走り回るの意味になり、「鹿鹿鹿」が大まかの意味になるのは、おかしいではないか。---と勉強熱心な生徒たちから問われたらどうします? 

王安石はこれを聞いて、

無以答、迄不為変。

党伐之論、於是浸闓。黄岡之貶、蓋不特坐詩禍也。

人間的な不信感だったのです。

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南宋・岳珂「桯史」巻二より。著者の岳珂、字は粛之、亦斎と号す、は南宋初期、というより中国史上屈指の忠臣として有名な岳飛将軍の孫に当たります。彼が北宋時代の名士たちの逸話を集めたのが「桯史」(ていし、と読みます)で、中には妖怪やら奇談やらもあっておもしろいが、他の史書では窺えない史実なども満載の名著です。これまでにも「桯史」からの孫引き、という文章はだいぶん紹介してきたはずなんですが、今日の昼間千円で買ってきたのでこれから孫引きしなくてもよくなりました。

よかったにゃ。

ありがとうにゃ。

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