12月7日(土) ・・・ すでに7日の日録で報告したネコのほかにも一応活動していました。
〇板橋区赤塚城 ・・・ 14世紀武蔵千葉氏の本城だったかも、という中世城郭です。7日の日録の「炭水化物摂取」とは炭水化物弁当のことを指しています。

さくらの季節にはすばらしいところです。コロナのころの、誰もいない桜満開は忘れられないなあ。

昼はこんなのを食べた。弁当におにぎりが入っているのは昨日の残りだ。炭水化物をして炭水化物を食べさせしめる。
〇板橋区立博物館 ・・・ 常設展も野外展示もAクラスだ。

企画展は手描き友禅の職人・寺島森北さんの生涯、作品を展示。すごいですね。日本の誇りです。ほり〇もんや竹〇や、場合によっては大谷よりもすごいのでは。
〇戸田ネコ ・・・ 7日日録の斑点ネコのほかにもやっつけてきました。

斑点ねこ。しりたたきで快楽中。

しりミケねこと向こうは「はち」だ。しりミケはエサよりもしり叩けだったが、ハチが来たのでエサを与えたらそれを邪魔しょうとしはじめたので、エサを与えたら自分も食い始めた。このあたりの思考回路はわからない。

もんく言っているひまが

あるにゃら

しりたたけ!

しりたたきはきりが無いので帰ります。

駐車場付近で一匹見つける。毎回この付近で一匹見つけるが、毎回違うネコである。平均寿命一週間ぐらいかも。
夜のうちに移動して、静岡県某所で晩飯だ。
12月8日(日) ・・・ 最近、諸物価値上げで明確に肝冷庵の消費マインドが冷え切っています。どうせもうすぐアミダ(かエンマ)の世話になるのなら「もっとでかいことやってやるぜ」と思って静岡県沼津市原付近で活動。原駅にコインロッカーないんで苦しかったが、だんだん自分を鍛えるためだからいいんだ、という気になってきました。
〇原浅間神社 ・・・ 武田遺臣の源季重(→原名主・植松氏)が勧請したそうです。

この左手が高札場だったそうです。
〇帯笑園 ・・・ 植松氏の館。東海道沿道にあり、多くの文人墨客、僧侶、大名などが立ち寄っています。特にシーボルト、さらに明治以降は明治天皇をはじめ多くの貴顕が御覧になった。ここで、白隠ダルマ図のビデオ見せてもらう。

荷物が重いので長居をしてしまいました。むかしは借景に富士山が見えたはずですが、今は近くの三階建ての家などに隠されています。
〇松蔭寺 ・・・ 白隠禅師の所住。禅師は原の長澤氏出身。「虎視牛行」の人であったという。現在、禅師のお墓、木像、達磨図などを保存。

白隠は臨済宗中興といわれます。いまは白隠宗の総本山。ちょうど木魚のぽくぽくが聴こえて清浄な雰囲気でした。
〇興国寺城跡 ・・・ 築城技術的には本丸土塁、大空堀で名高い中世末の平山城。北条早雲旗揚げ、また家康の名臣・天野三郎兵衛康景が一万石を捨てて廃城になったのでも名高い。国指定史跡・日本百名城。

二の丸から本丸土塁を見上げる。

ここだけ石垣のある本丸天主台(瓦の無い建物が二棟建っていたらしい)。戦国期そのままの二つの時期の石垣が並んで遺っているのが見どころのひとつですが、左側の野面積みのあたりが整備中のようである。

本丸、北曲輪間の大堀切。ここへ誘い込まれたらやられる。
〇大泉寺 ・・・ 頼朝弟・今若丸こと醍醐寺の悪法師・阿野全成とその子で義時さまに歯向かい殺された時元さま(おふくろは政子さまの妹・阿野局)の建立とされる。お二人の墓あり。もと館跡であったという。

右端は29世~31世の住職さんの墓。その左手に、左・全成、右・時元の古い墓石が並ぶ。解説のひとがいろいろ話してくれました。鎌倉期の館跡なので土塁も遺っています。
興国寺城からこの寺まで、「根方街道」が続く。中世までの東海道で、これより海側は「浮島」だったのである。だから原は16世紀に開かれているんですね。
〇井出丸山古墳 ・・・ いまでは人里離れた山中にあるが、かつては麓の井出(伏流水が「出でる」ところ)から見上げることができたでしょう。六世紀後半。

後ろにはすぐに東名高速がある。ドウブツらしいのもいてなかなか深い森です。
今回は以上。まだ二時過ぎですが、日が暮れるの早いからもう帰ります。

こうやってみると富士山も大したことないような気がしてきますね。
コメントを残す