所好者五(好むところのもの五あり)(「戦国策」)
職場の忘年会でした。人並みに飲み食いしてきたので、脈が不整な感じがします。

おそろしい魑魅魍魎たちだ。市民が軍を止めるほど民主主義が発達している国もあるというのに、わが国にはまだこんなやつらが蠢いているのであろう。
でも魑魅魍魎度では、こいつらよりこっちの方が問題では。肥大してるし。
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昨日の続きです。
有間、王斗曰、昔先君桓公所好者五。
間有て、王斗曰く「昔、先君桓公の好むところ五あり」と。
しばらく沈黙があった後、王斗の方が申し上げた。「むかし、斉の古代の君主・桓公さま(在位前685~前643)には五つのお好みになるものがあったと聞き及びます」
「ほう・・・、どんなことですかな」
・・・というところで昨日はあまりの眠さに終了しました。
今日は飲み食いして帰りの地下鉄などで眠ってきたので、今は覚めていますので、今のうちにやります。
桓公は九回諸侯を集結させ、天下を正しく一つにまとめた。周王はこれを嘉して大伯(覇者)とした、という名君である。その桓公には五つのお好みがあったという。
今王有四焉。
今、王に四有り。
「現在、宣王さま、あなたにはそのうち四つはお有りのようですね」
宣王説曰、寡人愚陋守斉国、唯恐失抎之。焉能有四焉。
宣王説(よろこ)びて曰く、寡人愚陋にして斉国を守り、ただこれを失抎(しつうん)せんことを恐る。いずくんぞ能く四有らん、と。
宣王はお喜びになって、おっしゃった、
「わたしは愚かな上にキレがないのに、この斉の国をなんとか守ろうとして、ただ国を落として失ってしまわないかということを心配している(レベルだ)。どうして(桓公の80%である)四つも有ることがあろうか」
王斗は澄ました顔をして言った、
否。先君好馬、王亦好馬。先君好狗、王亦好狗。先君好酒、王亦好酒。先君好色、王亦好色。先君好士、王不好士。
否なり。先君馬を好み、王もまた馬を好む。先君狗を好み、王もまた狗を好む。先君酒を好み、王もまた酒を好む。先君色を好み、王もまた色を好む。先君士を好み、王は士を好まず。
「いえいえ、桓公は馬が好きでしたが、王さまも馬はお好きでしょう。桓公はイヌを可愛がられましたが、王さまもイヌはお好きでしょう。桓公は酒がお好きでしたが、王さまも酒はお好きでしょう。桓公はオンナ好きでしたが、王さまもオンナ好きでいらっしゃる。桓公は能力ある人を採用するのが好きでしたが、王さまはどうもこれはお好きでないらしい。
五つのうち四つもお好きではないですか」
「待て」
宣王は不愉快そうに言った、
当今之世、無士。寡人何好。
当今の世には士無し。寡人何ぞ好まん。
「現代の世の中のどこに能力あるやつはいない。わたしが好んで採用しようとしてもどうしようもないではないか」
王斗曰く、
世無麒麟騄耳、王駟已備矣。世無東郭俊盧氏之狗、王之走狗已具矣。世無毛嬙西施、王宮已充矣。王亦不好士也、何患無士。
世に麒麟と騄耳(りょくじ)無きも、王の駟(し)は已に備わる。世に東郭俊と盧氏の狗無きも、王の走狗已に具わる。世に毛嬙(もうしょう)・西施(せいし)無きも、王の宮すでに充つ。王また士を好まざるなり、何ぞ士無きを患(うれ)えん。
出てくる固有名詞の原典は、今日のところは引用しません。だんだん眠くなってきているので。寒いですし。暖房が無いんです。
「現代の世には、太平の世に現れるキリンや、伝説の名馬・リョクジはいませんが、それでも王の馬車を引く四頭の馬は揃っております。現代の世には、東郭の俊といわれた逃げ足のよいウサギも、それを追って有名になった盧氏の飼っていたイヌもおりません。それでも王の狩りに従うイヌは揃っております。現代の世には、伝説の美女・毛嬙や呉王をたぶらかした西施のようなすごい美女はおりません。それでも王の後宮は宮女でいっぱいです。そうなると、王はやはり能力ある人物はお好きでないのです。すごい人物がいないことを心配する必要は実際には無(く、その代わりになるレベルのやつを集めなければいけないのに、集めてな)いのですから」
「酒はどこへ行ったんだ!」と思われるひとも多いかと思いますが、王斗は酒については触れてないのですからしようがありません。王斗が忘れたのか、記録者が忘れたのかは不明。
王は言った、
寡人憂国愛民、固願得士以治之。
寡人は国を憂い民を愛し、もとより士を得て以てこれを治めんことを願えり。
「わたしは国を心配し、民を愛している。当然、能力ある人物を見出してその力で国を治めたいと思っているぞ」
王斗言う、
王之憂国愛民、不若王愛尺縠也。
王の国を憂い民を愛するは、王の尺縠(せきこく)を愛するに若かず。
「王さまが国を心配し、民を愛しているとおっしゃるが、王さまが「ちりめん」の布きれを愛されるほどではありますまい」
王は言った、
何謂也。
何の謂いぞ。
「どういうことだ?」
王使人為冠、不使左右便辟、而使工者、何也。為能之也。
王、人をして冠を為(つく)らしめんとすれば、左右の便辟(べんぺい)を使わず、工者を使うは何ぞや。これを能くするがためならん。
「王さまが、(ちりめんの布切れを使った)かんむりを作らせようとなさるとき、左右におられる近侍の者たちに作らせますか。そうではなく、職人に作らせるのではありませんか。それは何故か。その方がうまく作れるからです。
今、王治斉、非左右便辟無使也。臣故曰、不如愛尺縠也。
今、王の斉を治むる、左右便辟に非ざれば使わず。臣故に曰く、尺縠を愛するに如かず、と。
今、王さまが斉の国を治めるに当たっては、左右におられる近侍の者たち以外の方をお使いになられません。そこで、わたしは申し上げたのじゃ、ちりめんの布切れほどには、国も民も愛しておられない、と」
「わかった」
宣王は言った、
寡人有罪国家。
寡人、国家に罪有り。
「わたしは、国家に罪を造っていたようだな・・・」
於是挙士五人、任官。斉国大治。
ここにおいて士五人を挙げ、官に任ず。斉国大いに治まれり。
そこで、五人の人物を選んで、役職に就けた。この後、斉の国は大いに治まったということである。
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「戦国策」斉策より。よし、ハッピーエンドだ。こんだけ怒らせたので車裂きとか手足ちょんぎりとかすごい死刑だろうと思いましたが、ご理解いただけた。やっと終わり。もう目がしょぼしょぼです。このあとまだお風呂に入って、ノルマ読書もあるんです。
桓公は、馬、イヌ、酒、女、人物の五つが好きだったわけですが、「今だけ、カネだけ、自分だけ、お友だちだけ、東京だけ」の「五だけ」のうち一つぐらいは止めて、できればみんなのものに・・・、などという考えは自己責任の新自由主義では許されません。「先君」たちのように五つ揃えよう。・・・と言っている人たちが今も魑魅魍魎のように潜んでいるかも知れませんよ。現役世代はがんばって。
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