誠如吾心(誠に吾が心の如し)(「夷堅志」)
冬になってきました。冬も冬で着る服がありません。蓑をかぶって暮らします。

冬はこんなかっこいい服で出かけよう!透明性が向上して、君への解雇規制が解除されるかも。
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宋の時代のこと、蘇州の天啓観という道教のお寺に廬を結んだ道士がいた。
披一蓑衣、坐臥不易。妄談頗驗。凡瘵者、与蓑草服之、立瘉。不与者、疾必不起。
一蓑衣を披(き)、坐臥も易えず。妄談頗る驗するあり。およそ瘵せる者、蓑草を与えてこれを服すれば立ちどころに瘉ゆ。与えざる者は、疾必ず起たず。
みので作った服を着ている。座っている時も横になっても、いつもその一枚だけだ。何やら取り留めも無くしゃべっているが、それが大変よく当たる予言になっている。はやり病になった者には、蓑の草を引きちぎって与えるのだが、これを煎じて飲めば、病人は立ちどころに治る。もし草をもらえない者がいたら、そいつの病気はもう治らないのだった。
因称之蓑衣真人。
因りてこれを「蓑衣の真人」と称せり。
そこで、ひとびとは、彼を「蓑を着ている真人(仙人)」と呼んだ。
彼はもと淮陽の書生で何立(あるいは何中立)といい、
一旦焚書裂冠、遁。
一旦、書を焚いて冠を裂き、遁る。
ある日、突然、儒学の書物を焼いて、かぶっていた(読書人であることを示す)かんむりをびりびりと引き裂いて、出奔してしまった。
そして、いつのころからか、蘇州に棲みついていたのである。
南宋の孝宗(在位1162~89)が側近の璫贄を遣わして
問、不言所求。
問うに、求めるところ言わず。
「どうすればいいか」問うた。しかし、何についてのことであるかは、言わなかった。
微妙な問題について、方向性だけでも訊こうとしたのである。
何立掉首曰、有華人即有蛮人、有日即有月。
何立、首を掉(ふ)りて曰く、「華人有ればすなわち蛮人有り、日有ればすなわち月有り」と。
何立は頭をぐるぐる振って、言った。
「チャイナ民族がいれば異民族もいるわな。太陽があれば月があるわな」
「はあ」
璫復命。
璫、復命す。
璫贄はよくわからなかったが、そのまま皇帝に報告した。
「むむむ・・・」
孝宗は唸った。
誠如吾心。
誠に吾が心の如し。
「確かに、わしが心で求めていたこと(の答え)じゃ」
蓋所求者、恢復大計、中宮虚位両事也。
けだし求むるところは、恢復(かいふく)の大計と中宮虚位の両事なり。
孝宗が心の中で訊きたいと思っていたのは、金帝国から華北を取り戻す「恢復」戦争についての戦略と、皇后が亡くなってその地位が空っぽになっていることへの対処(要するに立后を急ぐかどうか)であったのである。
すなわち、①チャイナ民族の南宋帝国があれば、異民族の大金帝国もあって、それは両立したままでいるしかない、しばらく和平を保つように、②太陽(皇帝)が存すれば月(皇后)も存すべきで、早いとこ立后するがよい、という答えだったのである。
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南宋・洪邁「夷堅志」再補(清・張岱「夜航船」巻十四所収)より。冬の服については明日以降考えることにして、今日はむかしの知り合いとお好み焼きを大量に食う。誠に吾が心の如し(まことにわしが心で求めていたことじゃ)。
お好み焼き食っている間に韓国で何かやばいことが起こっているみたいです。戒厳令? 明日になったらもっと情報入ってくるかな。
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