白髪唱黄鶏(白髪にて黄鶏を唱う)(「東坡志林」)
秋田のクマ、捕まりました。すぐに人間に殺処分されたようですが、平穏な生活が戻ってよかった。なお、我々もやがて処分されます。人間にされる可能性もゼロではない。

金太郎に処分された状態。
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宋の元豊年間のことですが、
安徽・黄州の東南三十里(宋代の一里≒550メートル)に沙湖があり、そのほとりに螺師店という田舎町がある。わしはここに田んぼを買った。
因往相田得疾。聞麻橋人龐安常善医而聾、遂往求療。
往きて田を相するに因りて疾を得。麻橋の人・龐安常は善医にして聾なりと聞き、遂に往きて療を求む。
何度も田んぼを見るために行き来したので、過労になったらしい。そこで、麻橋のひと龐安常は耳は聞こえないが腕のいい医師だと聞いたので、行って診察してもらった。
安常雖聾、而穎悟絶人、以紙画字、書不数字、輒深了人意。
安常は聾といえども、穎悟人に絶し、紙を以て字を画くに書くこと数字ならずして、すなわち深く人の意を了す。
この安常は、耳は聞こえないけど、知恵のまわりの素早さは他人の比ではない。紙に字を書いて示すと、まだ数文字のうちにこちらの言いたいことを深く理解してくれる。
そこで、わしは言った、
余以手為口、君以眼為耳、皆一時異人也。
余は手を以て口と為し、君は眼を以て耳と為し、みな一時の異人なり。
わしは手で素早く字を書いて口頭替わりにしている。おまえさんは耳で聴くかわりに目で見てわしと会話している。どちらも現代における異能者というべきじゃろう。
と。
病気が治った後、彼と一緒に清泉寺に出かけた。この寺は蘄水(きすい)城の門外二里ばかりのところにあり、王羲之が筆を洗ったという伝説の泉がある。この泉、
水極甘、下臨蘭渓、渓水西流。
水極めて甘く、下に蘭渓を臨み、渓水は西流せり。
水を飲めば極めて甘く、美味い。この泉が流れる先は「曲水宴」で有名な蘭渓である。谷川の水はそこから西に向かって流れて行く。
そこでわしは歌を作ったので、聴いてください。もちろん、安常には文字で書いて示した。
山下蘭芽短浸渓、松間沙路浄無泥。蕭蕭暮雨子規啼。
誰道人生無再少、君看流水尚能西。休将白髪唱黄鶏。
山下には蘭の芽短く渓に浸され、松間の沙路は浄くして泥無し。蕭蕭たる暮雨に子規啼けり。
誰か道(い)う「人生、再び少(わか)きこと無し」と、君看よ、流水はなお能く西す。将(もち)うるを休めよ、白髪にして黄鶏を唱うことを。
「黄鶏を唱う」は、唐・白楽天の「酔いての歌―――妓人・商玲瓏に示す」の一節、
黄鶏催暁丑時鳴。
黄鶏は暁を催して丑時に鳴く。
黄色い羽の長鳴き鶏は、暁を呼び寄せるために午前三時ごろに鳴く。(おまえと過ごした一夜ももう終わりだ。)
に基づき、快楽の日々が過ぎゆくことを嘆く、の意。
山の麓(の有名な蘭渓)では蘭の芽がまだ短く、谷川の水に浸されている(まだこれから伸びていくことであろう)。松林の間を行く砂の道は、清らかでぬかるみなど無い。そぼ降る夕方の雨の中、初夏のホトトギスが鳴いている。
誰が「人生は二度と若い日に戻ることはない」などと言ったのか。きみ、見てみたまえ、流れる水はまだ西へと行くではないか(われらもまだ先にいけるはずだ)。白髪の年になってから、黄色い羽のニワトリの歌を歌って、楽しい日々が過ぎて行ったことを嘆くのはやめてくれ。
ちゃんちゃん。
是日、劇飲而帰。
この日、劇飲して帰れり。
この日は(興奮して)、激しく飲酒して帰ってきた。
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宋・蘇東坡「浣渓沙・游沙湖清泉寺」(「浣渓沙」の歌の節で。沙湖の清泉寺に出かけた)(「東坡志林」巻一より)。簡単そうに見えて、すごく有名な文と詞なんです。わからなくてもイワシの頭のように拝んでいれば、そのうち感動しはじめるかも。
今日昼間、焼き芋(紅あずま、です。さつきみどりではありません)を買って、冷えたあと皮ごとむしゃむしゃして喉に詰まりそうなので水飲んで押し込んで食べきったら、腹が膨れて苦しくなってきました。しばらく動けなくなっていたら、眠くなってきて居眠りして、数十分で起きたあとは苦しいというほどでもなくなりました。ああよかった。劇飲はもうできないのに、劇食だけはしてしまう、いや、自分の意志に関係なく、させられてしまうというべきかも知れません。
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