為虎之苛(虎の苛を為す)(「清通鑑」)
昨日から、クマが秋田のスーパーに立て籠もっています。ごみ屋敷ではありません。

クマでもトラでもなく、実際は人間の問題なのだ。
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清・咸豊三年(1853)四月、閩(福建)南の小刀会(天地会の支部であるという)の黄徳美と黄威の二人が首領となって、
掲竿起義、聚衆万人、占領海澄県、旋攻取府城漳州。
掲竿して起義し、聚衆すること万人、海澄県を占領し、旋(たちま)ち府城・漳州を攻取せり。
竿の先に謀反の趣旨を掲げて起義(反乱)した。すぐに一万人が集まって、海澄県庁を占領、すぐに府庁の所在する漳州も攻め取ってしまった。
さらに同安、厦門に勝ち、総兵(部隊長)の曹三祝、遊撃(移動警察隊長)の鄭振纓などを殺し、さらに漳浦に進出した。
ここで黄威を
漢大明統兵大元帥(漢・大明の統兵大元帥)
として担ぎ上げ、元号を「天徳」とした。
その反清の布告に曰く、
貪官汚吏、政皆流為虎之苛、竭髄脧脂、民尽嘆夫鼠之碩。
貪官汚吏(たんかんおり)、政はみな流れて虎の苛を為し、髄を尽くし脂を脧(すく)いて、民ことごとく夫(か)の鼠の碩なるを嘆く。
「虎の苛」は、「礼記」檀弓下篇にいう、
・・・孔子が泰山の麓を通り過ぎたとき、婦人が墓のかたわらで泣いていた。孔子は車の手すりにつかまって(特別な敬意を示す)それを聞いていたが、やがて子路を婦人のところに行かせて、
「あなたの泣き方は、悲しみが重複しているように聞こえるが、どうでしょうか」
と問わせた。
婦人は答えて言った、
昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉。今吾子又死焉。
むかし、吾が舅、虎に死し、吾が夫もまた死せり。今、吾が子また死せり。
「むかし、わたしの舅はトラに殺されました。わたしの夫もまた殺されました。今度は、わたしの息子もまた殺されました。(このために重複した悲しみを持っているのです)」
と。
それを聞いて、また尋ねさせた。
何為不去也。
何すれぞ去らざる。
「こんな土地からどうして出ていかないのですか」
婦人は答えて言った、
無苛政。
苛政無ければなり。
「ここにはひどい政治がございませんので」
孔子はこれを聞いて言った、
小子識之、苛政猛於虎也。
小子これを識(しる)せ、苛政は虎よりも猛なり。
「若い衆(弟子たち)よ、よく覚えておけ。ひどい政治はトラよりも怖ろしいのだ」
何度も紹介しているはずですが、いい文章ですね。
「碩鼠」についてはこちらを参照。現代なら〇〇〇〇みたいな悪いやつのことですよ。
ということで、布告の文章はこうなります。
貪欲な役人、汚れた官吏たち、かれらの行政はトラの(ような)ひどさになっていき、
骨髄を抜かれ脂肪をすくいとられ、人民たちは残らず、あの(イヤな)ネズミの大きいのを嘆いている。
以致山崩海溢、年凶歳飢、盗賊蜂起、黎庶魚頳。
以て山崩れ海溢れ、年凶にして歳飢え、盗賊蜂起し、黎庶魚頳(ぎょてい)するを致せり。
「黎」は「黒い」。「黒い頭」=人間の意味になりますが、「黎庶」は、「黒い頭」が「庶」(多い)ので、「多くの人間」≒「人民ども」のことです。
「魚頳」は「疲れ果てている様子」。なんでそんな意味になるのかというと、「詩経」国風「汝墳」にいう、
魴魚頳尾、王室如燬。雖則如燬、父母孔邇。
魴魚の頳(てい)なる尾よ、王室は燬(や)くが如し。則ち燬くが如しといえども、父母孔(おおい)に邇(ちか)し。
魴(ほう)という魚(は、疲れると尻尾が赤くなるが、)の赤いしっぽよ。(今、われわれもそのような状況だ)
王さまはわれわれを焼くかのように厳しく迫る。
だが、焼くかのように迫るとしても
もう父母(のような仁政)がたいへん近くまで来ているぞ。
王室に謀反するようなヤバい内容に見えるので、従来から、この「王室」は殷の紂王のことで、「父母」(のような仁政)は周の文王の政治のことだ、と解して、徳を慕う人民の歌として受容されてきています。
布告文は、
(トラやネズミのような政治家や官僚の跋扈によって)山は崩れ海はあふれ出し、今年の稲は凶作、食糧は確保されずに飢餓が広がり、群盗たちは各地で蜂起し、黒い頭の民衆たちは魚の尾が赤くなるように疲れ果てている。
と言っているんです。
このような中で、
我大明天徳皇帝、体天行仁、奉旨征厦、応天順人。
我が大明天徳皇帝、天に体し仁を行い、奉旨して厦を征し、天に応じ人に順うなり。
我が大明・天徳皇帝(黄威さま)は、天の考えを実地に表わし、仁政を行い、趣旨を理解してアモイを征服し、天の命に対応し、人の声に従順に政治を行うであろう。
黄威たちは半年後の十月まで厦門一帯を占拠して立て籠もっていたが、清軍に包囲されて進退窮まり、包囲網を破って船で脱出、翌年には台湾に上陸するも撃退された。
その後、翌翌年には突然、再度厦門を攻めるが海戦に敗れ、ベトナムに逃れてさらに反清運動を続けたということだ。
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「清通鑑」巻210「咸豊三年」条より。クマも包囲されているようですから、そのうちつかまることでしょう。あさま山荘みたいにするのかな。A県警が貪官汚吏とは思いませんが、市民生活は普通に守って欲しいものです。
この「小刀会」の布告文、かなり「巧い」のでご紹介してみました。当時はちっぽけな反乱軍にもこんな才能のある人が参画していたのでしょう。現代とは違う(んでしょうか)!
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