何所不有(何の有らざるところか)(「録異記」)
なんでもありなので、眠いときにはどんなところでも寝てしまいます。寒いところで寝ると風邪をひいてしまうかも。よって風邪薬でも買ってくるか、と考えてみました。

戦国時代同様、新自由主義時代は何でもありなんじゃ。(←ほんとに?)
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西暦350年、関中(長安近辺)に、五胡の一、氐族の苻氏により「秦」という国が建てられた。史上「前秦」と呼ばれ、やがて一時華北を統一する強国になり、江南の「晋」と相対する―――のですが、まだ建国のころのこと、
関中・新平の地に、
有長人見、語百姓張靖、曰苻氏応天受命、今当太平、外面者帰中而安泰。
長人の見(あら)われ、百姓・張靖に語る有りて、曰く、「苻氏天に応じ命を受け、今まさに太平たるべく、外面者中に帰りて安泰ならん」と。
巨大な人が出現し、張靖という一般人に向かって、次のように語った。
「苻氏は天の命令を受けてこれに応え、まもなく太平の世になるであろう。外に出かけている者たちも帰ってきて、安らかに暮らせることになるだろう」
たいへん目出度いことです。
張靖はその人に「あなたのお名前は?」と問うたが、巨人は
不答、俄而不見。
答えず、俄かに見えずなりぬ。
答えることなく、たちまち消えてしまった。
この事件を聞いた新平の県令は、
「もしかしたらお褒めに与かれるかも知れんぞ」
と、ただちに苻氏の当主・苻健に報告したが、苻健は、
以為妖、下靖獄。
以て妖なりと為し、靖を獄に下す。
「怪しい。そんなことがあるものか」として、(「あわあわ、わたしではございません、一般人の張靖めが言い触らしたのでございます」と県令は責任逃れをしたのでしょう)張靖を(虚言の罪で)監獄に入れてしまった。
会大霖雨河渭。
たまたま、河・渭に大いに霖雨す。
この年は、黄河や(長安付近の)渭水のあたりでは、たいへんな大雨が続いた。
そんな中で、
蒲津監寇登得一履於河。長七尺三寸。人跡称之、指長尺余、文深一寸。
蒲津監・寇登、一履を河に得たり。長さ七尺三寸。人跡これに称(かな)えるに、指長尺余、文の深さ一寸なり。
魏晋のころの一尺≒24センチを当てはめて計算してみます。ぼけてきているので間違うカモ知れませんので、検算はみなさんでしてみてください。
蒲津の渡し場を管理する寇登という人が、黄河を流されてきたはきものを見つけた。その履物、長さ168センチ! この大きさを人間の足の裏に比例させてみると、指の長さが24センチ以上、足の裏の模様の深さが2,4センチに当たることになる。
苻健は「ああ」と嘆息して言った、
覆載之間、何所不有。張靖所見定非虚也。
覆載(ふくさい)の間、何の有らざるところか。張靖の見るところ、定めて虚にあらざるなり。
「覆」は上から覆うもの、すなわち「天」。「載」は上に載せるもの、すなわち「地」。
「天地の間、世界には、何か「無いもの」があるだろうか(いや、すべてある)。張靖が見たという巨人も、きっとウソではなかったのだ!」
・・・ということは、もちろん、苻氏のもとで太平の世が開かれるということもウソではないのだろうなあ。
ただちにこれを釈放し、厚く報じたということである。
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五代・杜光庭「録異記」巻二より。天地の間には大谷や佐々木もいるのである。足の大きさが170センチぐらい、ということなら、身長はその七倍程度(「馬場の公式」=31.5→209による)と見ればいいので、11メートルぐらいです。これぐらいのやつはいた・・・かもしれません。朝顔は冬でも咲く、インフレだけど財政出動、など何でもありみたいな世の中なので。
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