11月30日 そろそろ風邪薬が必要かも

何所不有(何の有らざるところか)(「録異記」)

なんでもありなので、眠いときにはどんなところでも寝てしまいます。寒いところで寝ると風邪をひいてしまうかも。よって風邪薬でも買ってくるか、と考えてみました。

戦国時代同様、新自由主義時代は何でもありなんじゃ。(←ほんとに?)

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西暦350年、関中(長安近辺)に、五胡の一、氐族の苻氏により「秦」という国が建てられた。史上「前秦」と呼ばれ、やがて一時華北を統一する強国になり、江南の「晋」と相対する―――のですが、まだ建国のころのこと、

関中・新平の地に、

有長人見、語百姓張靖、曰苻氏応天受命、今当太平、外面者帰中而安泰。

たいへん目出度いことです。

張靖はその人に「あなたのお名前は?」と問うたが、巨人は

不答、俄而不見。

この事件を聞いた新平の県令は、
「もしかしたらお褒めに与かれるかも知れんぞ」
と、ただちに苻氏の当主・苻健に報告したが、苻健は、

以為妖、下靖獄。

会大霖雨河渭。

そんな中で、

蒲津監寇登得一履於河。長七尺三寸。人跡称之、指長尺余、文深一寸。

魏晋のころの一尺≒24センチを当てはめて計算してみます。ぼけてきているので間違うカモ知れませんので、検算はみなさんでしてみてください。

苻健は「ああ」と嘆息して言った、

覆載之間、何所不有。張靖所見定非虚也。

「覆」は上から覆うもの、すなわち「天」。「載」は上に載せるもの、すなわち「地」。

・・・ということは、もちろん、苻氏のもとで太平の世が開かれるということもウソではないのだろうなあ。

ただちにこれを釈放し、厚く報じたということである。

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五代・杜光庭「録異記」巻二より。天地の間には大谷や佐々木もいるのである。足の大きさが170センチぐらい、ということなら、身長はその七倍程度(「馬場の公式」=31.5→209による)と見ればいいので、11メートルぐらいです。これぐらいのやつはいた・・・かもしれません。朝顔は冬でも咲くインフレだけど財政出動、など何でもありみたいな世の中なので。

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