11月29日 まだ自覚している間はマシかも

恕五老(五老を恕(ゆる)せ)(「語林」)

思いやってくだされや。・・・と見せかけてスキを突こうとする。老いて、今だけ、自分だけがよければよくなってきている、のかも知れません。わたしのことですよ。

怪しからんやつじゃ。・・・ところでお前はだれだっけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

元末、浙江・紹興のひと、鉄崖先生・楊維禎は泰定四年(1327)の進士だが、すぐに官を辞めて、江南各地を放浪しながら、まだ明の統一前の洪武三年(1370)に亡くなった。

当時、江南地方に勃興しつつあった「市民階級」の文学を指導・代表した詩人なのだと言われます(吉川幸次郎先生など)が、西洋近代の品行方正な市民ではなく、「声色を好む」(歌曲と女色が大好き)と称され、纏足している少女の靴下を脱がせて、それで酒を飲むのを愛した変な人です。おそらく「変質者」なんだと思いますが、一応かっこよく「無頼派」とでも言っておきましょうか。

先生は、

晩年臥起小蓬台、不復下。

門に以下のような貼り紙があったという。

客至不下楼、恕老懶。
見客不答礼、恕老病。
客問事不対、恕老黙。
発言無所避、恕老迂。
飲酒不輟楽、恕老狂。

これは「老害」です。こんな家、入りたくないですよね。

其誕情做世如此。

・・・・・・・・・・・・・・・・

明・何良俊「語林」巻二十六「簡傲篇」より。メシを二回食う、同じこと言う、ひとの名前を忘れる、病院行く日忘れる、飲み会入れても忘れる、なんでも忘れる、公共料金払い忘れる、人には割と厳しい・・・など、前もダメでしたが最近さらにダメになってきています。思いやって・・・くれそうにないので、自分だけよければいいと思って生きて行かなければならないのだ、と思ったけど、そんな気力もないんです。平和にやっていこう。
しかし、もう終わりだという前にまだこちらも問題なようです。たいへんだなあ。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す