恕五老(五老を恕(ゆる)せ)(「語林」)
思いやってくだされや。・・・と見せかけてスキを突こうとする。老いて、今だけ、自分だけがよければよくなってきている、のかも知れません。わたしのことですよ。

怪しからんやつじゃ。・・・ところでお前はだれだっけ。
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元末、浙江・紹興のひと、鉄崖先生・楊維禎は泰定四年(1327)の進士だが、すぐに官を辞めて、江南各地を放浪しながら、まだ明の統一前の洪武三年(1370)に亡くなった。
当時、江南地方に勃興しつつあった「市民階級」の文学を指導・代表した詩人なのだと言われます(吉川幸次郎先生など)が、西洋近代の品行方正な市民ではなく、「声色を好む」(歌曲と女色が大好き)と称され、纏足している少女の靴下を脱がせて、それで酒を飲むのを愛した変な人です。おそらく「変質者」なんだと思いますが、一応かっこよく「無頼派」とでも言っておきましょうか。
先生は、
晩年臥起小蓬台、不復下。
晩年には小蓬台に臥起し、また下らず。
年を取ってからは、「小蓬台」(小さくて草ぼうぼうの御殿)と名付けた町中の二階建ての家の二階に起き伏しして、地上まで降りてこなくなった。
門に以下のような貼り紙があったという。
客至不下楼、恕老懶。
見客不答礼、恕老病。
客問事不対、恕老黙。
発言無所避、恕老迂。
飲酒不輟楽、恕老狂。
客至るも楼を下らず、老懶を恕(ゆる)せ。客を見るも答礼せず、老病を恕せ。客の事を問うも対せず、老黙を恕せ。言を発しては避くるところ無し、老迂を恕せ。飲酒の楽しみを輟(や)めず、老狂を恕せ。
おまえさんが来ても降りて行かないのは、老いてかったるいからじゃ。思いやれ。
おまえさんと会って拝礼されても返さないのは、老いて病んでいるからじゃ。思いやれ。
おまえさんに何かを訊かれても答えないのは、老いてしゃべれなくなってるからじゃ。思いやれ。
しゃべりはじめたら遠慮が無くなるのは、老いて世間知らずになっているからじゃ。思いやれ。
酒を飲む楽しみだけは止めようとしない、老いた物狂いなんじゃ。思いやれ。
これは「老害」です。こんな家、入りたくないですよね。
其誕情做世如此。
その誕情にて世を做(な)すこと、かくの如し。
彼が大風呂敷な気持ちで世間に対していたのは、このことからも窺えるだろう。
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明・何良俊「語林」巻二十六「簡傲篇」より。メシを二回食う、同じこと言う、ひとの名前を忘れる、病院行く日忘れる、飲み会入れても忘れる、なんでも忘れる、公共料金払い忘れる、人には割と厳しい・・・など、前もダメでしたが最近さらにダメになってきています。思いやって・・・くれそうにないので、自分だけよければいいと思って生きて行かなければならないのだ、と思ったけど、そんな気力もないんです。平和にやっていこう。
しかし、もう終わりだという前にまだこちらも問題なようです。たいへんだなあ。
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