11月28日 不健康から立ち直らなければだが

日有亡乎(日、亡ぶること有らんや)(「新序」)

本日は昼間の会議で爆睡。夜は中華。美味かった。毎日こんな生活では不健康です。太陽でさえ何十億年かすると巨大に太ってバクハツして滅びるというのに。

ある程度まで肥大すると、引力の関係でどんな努力をしても肥り続けて、やがてバクハツするよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

紀元前1600年ごろだと思うのですが、夏の桀王は、瑶台(玉製の展望台)を造り、民の力・民の財を尽くした。さらに酒池糟堤(酒の池と酒粕の堤防。「肉林」でなくて残念。あちらは殷の紂王です)を作って、そこで靡靡の楽(やぶれ乱れた、破調のうた)を奏でさせ、

一鼓而牛飲者三千人。

国力を弱めるような大宴会を毎日やっていたのである。

これに対して、

群臣相持歌曰、江水沛沛兮、舟楫敗兮。我王敗兮、趣帰薄兮、薄亦大兮。

「薄」(はく)は「亳」(はく)のことで、「亳」は西の殷国の王都です。近年、湯王のもとでメキメキと頭角を現して来ている。

ひどい歌ですね。

亦曰、楽兮楽兮、四牡蹻兮、六轡沃兮、去不善而従善、何不楽兮。

こんな悪口の歌を歌われたら、普通の人なら怒ってしまうことでしょう。だが、桀王はどんな歌を聞いてもにやにやしていた。

桀王のもとには賢者の伊尹がおりました。

伊尹知天命之至、挙觴而告桀。

君王不聴臣之言、亡無日矣。

桀拍然而作、唖然而笑曰、子何妖言。

「唖然」というのはもともとは「唖」(口を大きく開けて、「あはは」と笑う)の意です。

吾有天下、如天之有日也。日有亡乎。日亡吾亦亡矣。

(うひゃあ。これはいかん)

於是接履而趣遂適湯。

こうして、殷の湯王は賢人・伊尹の輔佐を得て、やがて夏王朝を滅ぼしたのである。

ただし、おそらく全部後世の伝説です。

・・・・・・・・・・・・・・・・

漢・劉向「新序」刺奢第六より。自らを批判する歌にも寛大な桀王。だが彼は滅んだ、「批判は許さん」という厳しい上司こそ有能である、やはりパワハラは必要だ・・・というふうに読んではいけません。

伊尹が、イヤなところを去って行きたいところに行った、これこそ、

逝将去汝、適彼楽土。楽土楽土、爰得我所。(詩経「碩鼠」)

というとおりである。と、漢・韓嬰「韓詩外伝」に書いてあります。楽土と思って行くとすごいところだったりするので、これにも要注意ですが。

ホームへ
日録目次へ

コメントを残す