日有亡乎(日、亡ぶること有らんや)(「新序」)
本日は昼間の会議で爆睡。夜は中華。美味かった。毎日こんな生活では不健康です。太陽でさえ何十億年かすると巨大に太ってバクハツして滅びるというのに。

ある程度まで肥大すると、引力の関係でどんな努力をしても肥り続けて、やがてバクハツするよ。
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紀元前1600年ごろだと思うのですが、夏の桀王は、瑶台(玉製の展望台)を造り、民の力・民の財を尽くした。さらに酒池糟堤(酒の池と酒粕の堤防。「肉林」でなくて残念。あちらは殷の紂王です)を作って、そこで靡靡の楽(やぶれ乱れた、破調のうた)を奏でさせ、
一鼓而牛飲者三千人。
一鼓にして牛飲する者三千人なり。
「どーん」と一回太鼓を叩くと、それを合図にウシのようにがぶがぶと酒を飲む者が、三千人も集まっていた。
国力を弱めるような大宴会を毎日やっていたのである。
これに対して、
群臣相持歌曰、江水沛沛兮、舟楫敗兮。我王敗兮、趣帰薄兮、薄亦大兮。
群臣相持して歌いて曰く、「江水沛沛(はいはい)、舟楫敗せり。我が王敗せり、趣きて薄(はく)に帰せん、薄もまた大なり」と。
「薄」(はく)は「亳」(はく)のことで、「亳」は西の殷国の王都です。近年、湯王のもとでメキメキと頭角を現して来ている。
臣下たちは集まってともに歌をうたった。
川の水はふくれふくれて、
舟の楫は壊れてしまった。(どうすればいいのだろうか)
うちの王さま壊れてしまった、
それでは「亳」に行こう、
「亳」も大きな都市国家だ。
ひどい歌ですね。
亦曰、楽兮楽兮、四牡蹻兮、六轡沃兮、去不善而従善、何不楽兮。
また曰く、「楽しきかな、楽しきかな、四牡蹻(おご)り、六轡沃(よく)して、不善を去りて善に従う、何ぞ楽しからざるや」と。
またこんな歌もうたった。
楽しいな、楽しいな、
四頭のオス馬は跳ね上がり、
六本の手綱は(その汗で)ずぶ濡れだ。(というぐらい速く馬車を走らせて、)
おれは善くないやつから離れて善い人のところに行くのだから、
どうして楽しくないことがあるだろうか。
こんな悪口の歌を歌われたら、普通の人なら怒ってしまうことでしょう。だが、桀王はどんな歌を聞いてもにやにやしていた。
桀王のもとには賢者の伊尹がおりました。
伊尹知天命之至、挙觴而告桀。
伊尹、天命の至るを知り、觴を挙げて桀に告ぐ。
伊尹は(このひどい歌を聞いて)天の命令が変わろうとしていることを知り、さかずきを挙げて(特別な宣言をする、という仕草です)、桀王に言った。
君王不聴臣之言、亡無日矣。
君王、臣の言を聴かざれば、亡すること日無からん。
「王さまが臣下の言葉を聴かないでいると、間もなく滅亡しますぞ!」
桀拍然而作、唖然而笑曰、子何妖言。
桀、拍然として作(た)ち、唖然として笑いて曰く、「子なんぞ妖言す」と。
「唖然」というのはもともとは「唖」(口を大きく開けて、「あはは」と笑う)の意です。
桀王は、手を叩いて立ち上がり、「がははは」と口を大きく開けて笑って、言った、「おまえはなんでそんな変なことを言うのだ?」と。
吾有天下、如天之有日也。日有亡乎。日亡吾亦亡矣。
吾、天下を有す、天の日有るが如きなり。日の亡ぶること有らんや。日亡ぶれば吾もまた亡びん。
「わしは天下を保有しているのじゃ、天に太陽があるように君臨しているのじゃ。太陽が消滅してしまうことがあるか。そんなことがあったら、わしもまた消滅する(かも知れんが、太陽がある限り、わしが滅亡することがあろうか)」
(うひゃあ。これはいかん)
於是接履而趣遂適湯。
ここにおいて履を接して趣むきて遂に湯に適(ゆ)けり。
この言葉を聴いて、伊尹は履物を履くや、出かけて行って、ついに殷の湯王のところに行って仕えた。
こうして、殷の湯王は賢人・伊尹の輔佐を得て、やがて夏王朝を滅ぼしたのである。
ただし、おそらく全部後世の伝説です。
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漢・劉向「新序」刺奢第六より。自らを批判する歌にも寛大な桀王。だが彼は滅んだ、「批判は許さん」という厳しい上司こそ有能である、やはりパワハラは必要だ・・・というふうに読んではいけません。
伊尹が、イヤなところを去って行きたいところに行った、これこそ、
逝将去汝、適彼楽土。楽土楽土、爰得我所。(詩経「碩鼠」)
逝きてまさに汝を去り、彼(か)の楽土に適(ゆ)かん。楽土、楽土、爰(ここ)に我が所を得たり。
(大ネズミに長く苦しめられてきたが、)もうおまえのところは去って、あの素晴らしいところに行くことにした。素晴らしいところよ、素晴らしいところよ。この地でわたしは居るべきところを得たのだ。
というとおりである。と、漢・韓嬰「韓詩外伝」に書いてあります。楽土と思って行くとすごいところだったりするので、これにも要注意ですが。
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