有若鱗甲(鱗甲のごとき有り)(「庸閒斎筆記」)
赤い斑点が出てあちこち痒いことがあります。わたしもヘビだったのかも知れない。

おれは、ヘビでなくて龍でロン。体中に八十一枚のウロコがあるが、一枚だけ逆向きなんでロン。触ってみる?
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太平天国と死闘を繰り広げ、末期の清朝を支えた曽国藩さま(亡くなったあと、曽文正公と謚号を賜った)は、各階層からの人望はあるし、功績がすごいし、学問も出来るし胆力もあるし、勤労で、当時その名を聞けば天下が震えるほどであったが、昼も夜も、戦線でも皇帝の御前でも、いつも体のどこかを掻いていた。
また、
顧性畏雞毛、遇有挿羽之文、皆不敢手拆。
顧みるに性として雞毛を畏れ、挿羽の文有るに遇えば、みな敢えて手拆せず。
思い出してみると、本心からニワトリの毛を怖がっておられ、(当時、部隊間の機密の文書には)鳥の羽を挿んで送る(ことになっていたが、前線からこの)文書が送られてくると、いつも自分では開こうとされなかった。
封は人に開かせて、まず羽を抜き取らせ、その後で中身を取り出して読むのであった。
辛未(同治十年(1871))十月、曽国藩さまが上海に閲兵にお見えになった。
供張已備、従者先至、見座後有雞毛帚、嘱去之。
供張すでに備わるに、従者まず至り、座後に雞毛の帚有るを見れば、嘱してこれを去らしむ。
テントの準備が既に終わったところで、従者がまずやってきて、椅子の後ろに、(備え付けの)ニワトリ羽のほうきが無いか確認し、もしあればすぐにそれを取り除けるように依頼していた。
当時の野外テントの椅子には、これが備え付けられていたのでしょう。
この時、その従者が言うには、
公悪見此物。不解其故。
公、この物を見るを悪(にく)む。その故を解さず。
「曽国藩さまは、これを見るのが大嫌いなんです。理由はわからないんですが」
とのことであった。
その後、曽国藩さまの御姻戚に当たる郭階さまと話す機会があった。郭さまがいうには、
公旧第中有古樹、樹神乃巨蟒。相伝公即此神蟒再世。遍体癬文、有若鱗甲。
公の旧第中に古樹有りて、樹神はすなわち巨蟒なり。相伝うるに、公は即ちこの神蟒の再世なり、と。遍体の癬文、鱗甲のごとき有り。
「曽国藩さまのお生まれになったお屋敷には、大きな樹がありましてな。その樹には、「主」が棲んでいた。それが大蛇だったんだそうです。わたしが聞いたところでは、曽国藩さまはこの主の大蛇の生まれ変わりであった、と。その証拠に、体中に皮膚病があり、まるでウロコがびっしりと生えた甲羅をつけているようであったのです」
楳図かずを先生の作品(「おろち」など)に出て来そうですね。日野日出志先生の方かも。
毎日臥起、牀中必有癬屑一堆、若蛇蛻然。然喜食雞肉。而乃畏其毛、為不解耳。
毎日臥起するに、牀中必ず癬屑一堆有りて、蛇の蛻のごとく然り。然れば雞肉を喜食す。しかるにその毛を畏るるは、不解と為すのみ。
「毎日、朝起きると、ベッドの中には、必ず、剝げた皮膚がひと山落ちていて、ヘビの抜け殻のようだったそうです。そのようにヘビの生まれ変わりなので、ニワトリの肉が大好きでいらっしゃったのですが・・・、ニワトリの毛を恐れたとは、わたしは知りませんでした」
とのことであった。
どうも腑に落ちない。
ところが、その後、随園先生・袁牧の随筆を読んでいたら、ついに理解できました。
焚雞毛、修蛇巨虺聞気即死。蛟蜃之類亦畏此気。
雞毛を焚けば、修蛇・巨虺、気を聞して即死す。蛟・蜃の類またこの気を畏る。
ニワトリの毛を焼くと、長いヘビ、大きな爬虫類は、そのガスを嗅いだら即死してしまう。水龍や海龍のたぐいも、やはりこのガスを恐れる。
と書いてあったんです。
乃悟公是神蟒転世、故畏雞毛也。
すなわち、公はこれ神蟒の転世、故に雞毛を畏るることを悟れり。
これで、曽国藩さまが巨大ヘビの神さまの生まれ変わりであること、それ故にニワトリの毛を恐れていたのだ、ということが納得できました。
当時としては科学的である。
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清・陳其元「庸閒斎筆記」巻三より。わたしは現代人で当時より進んだ科学のもとにありますから、曽国藩は「ニワトリの毛アレルギー」があったのではないかと推測しています。彼は体中に疥癬があって、毎日睡眠不足になるぐらい体を搔いていたので有名なので、ニワトリの毛を見るともぞもぞして一段と痒くなったのでは。
ちなみに、若いころの日記を読むと、曽国藩は奥さんが大好きだったので、奥さんは毎朝、ベッドの片づけが大変だったとのことです(日記によれば昼間も!)。本人は欲望を抑えきれないことを反省しているのですが、蛇の生まれ変わりだったのではいろいろしようがないなあ。
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