11月23日 毎日皆さんの勤労に感謝してます

有若鱗甲(鱗甲のごとき有り)(「庸閒斎筆記」)

赤い斑点が出てあちこち痒いことがあります。わたしもヘビだったのかも知れない。

おれは、ヘビでなくて龍でロン。体中に八十一枚のウロコがあるが、一枚だけ逆向きなんでロン。触ってみる?

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太平天国と死闘を繰り広げ、末期の清朝を支えた曽国藩さま(亡くなったあと、曽文正公と謚号を賜った)は、各階層からの人望はあるし、功績がすごいし、学問も出来るし胆力もあるし、勤労で、当時その名を聞けば天下が震えるほどであったが、昼も夜も、戦線でも皇帝の御前でも、いつも体のどこかを掻いていた。

また、

顧性畏雞毛、遇有挿羽之文、皆不敢手拆。

封は人に開かせて、まず羽を抜き取らせ、その後で中身を取り出して読むのであった。

辛未(同治十年(1871))十月、曽国藩さまが上海に閲兵にお見えになった。

供張已備、従者先至、見座後有雞毛帚、嘱去之。

当時の野外テントの椅子には、これが備え付けられていたのでしょう。
この時、その従者が言うには、

公悪見此物。不解其故。

とのことであった。

その後、曽国藩さまの御姻戚に当たる郭階さまと話す機会があった。郭さまがいうには、

公旧第中有古樹、樹神乃巨蟒。相伝公即此神蟒再世。遍体癬文、有若鱗甲。

楳図かずを先生の作品(「おろち」など)に出て来そうですね。日野日出志先生の方かも。

毎日臥起、牀中必有癬屑一堆、若蛇蛻然。然喜食雞肉。而乃畏其毛、為不解耳。

とのことであった。

どうも腑に落ちない。

ところが、その後、随園先生・袁牧の随筆を読んでいたら、ついに理解できました。

焚雞毛、修蛇巨虺聞気即死。蛟蜃之類亦畏此気。

と書いてあったんです。

乃悟公是神蟒転世、故畏雞毛也。

当時としては科学的である。

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清・陳其元「庸閒斎筆記」巻三より。わたしは現代人で当時より進んだ科学のもとにありますから、曽国藩は「ニワトリの毛アレルギー」があったのではないかと推測しています。彼は体中に疥癬があって、毎日睡眠不足になるぐらい体を搔いていたので有名なので、ニワトリの毛を見るともぞもぞして一段と痒くなったのでは。

ちなみに、若いころの日記を読むと、曽国藩は奥さんが大好きだったので、奥さんは毎朝、ベッドの片づけが大変だったとのことです(日記によれば昼間も!)。本人は欲望を抑えきれないことを反省しているのですが、蛇の生まれ変わりだったのではいろいろしようがないなあ。

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