速進則闔(速やかに進めば則ち闔(と)ざさる)(「春酒堂詩文集」)
先生「童子がもう少しできるやつだったらなあ」童子「先生がもう少し大人でしたらなあ」

ゆっくり行こう。よんなーよんなーさあ。
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庚寅年(1650。清の順治七年のことですが、清の元号は使わない)の冬のことじゃが、わしは日暮れの道を蛟川の町に急いでいた。
命小奚以木簡束書従。
小奚に命じて木簡を以て書を束ねて従わしむ。
童子(子どもの下僕)に、木製の帯で書類を束ねたものを背負わせて、連れていた。
時西日沈山、晩煙縈樹。
時に西日山に沈み、晩煙樹に縈(まつ)わる。
ちょうど西の方の落日は山に沈みつつあり、夕方の靄が木々の間に漂い始めている。
望城二里許、因問渡者尚可得南門開否。
望城二里許(ばか)り、因りて渡者に、なお南門の開くを得べきや否やを問う。
あと町まで二里(約1キロ)ばかりで、小さな川を渡った。そこで、わしは渡し舟の船頭に「この時間だと、まだ蛟川の町の南門が開いている時間に間に合うだろうか」と訊いてみた。
日没と同時に門は閉ざされ、明日の朝まで出入りができなくなる。
すると、渡し守は、(わしの方ではなく)童子の方をじっと見た。
童子「うっしっし」
渡し守は視線をわしの方に戻して、
応曰、徐行之、尚開也。速進、則闔。
応じて曰く、徐(おもむ)ろにこれを行けばなお開かるなり。速やかに進めば、すなわち闔(と)ざされん。
答えて言った、
「ゆっくり行けば、まだ間に合いましょう。急いで行けば、もう間に合いますまい」
「はあ?」
予慍為戯、趨行。
予、慍(いか)りて戯れと為し、趨りて行く。
わしは「なにをふざけているのか!」と頭に来たが、そんなことを言い合っているヒマはないので、大急ぎで小走りに町に向かった。
「はやく、急ぐのじゃ!」
及半、小奚倒、束断書崩。啼未即起。
半ばに及びて、小奚倒れ、束断じて書崩る。啼きていまだ即起せず。
半分ぐらい来たところで、後ろに随っていた童子が転び、背中の束が切れて書類がバラバラになった。
「何をしている!」
「うわーん」
童子は泣いて、すぐには起き上がれないようだ。
わしは戻って、
理書収束。而前門已牡下矣。
書を理め束を収む。而して前門すでに牡下せり。
錠前の差し込みの部分を「門牡」といいます。
書類を拾い収めて束をはめ直した。その間に、もう目の前に見えていた門の錠前が下りた。
閉まってしまいました。
「うわーん、先生ごめんなちゃい」
「・・・いや、いい」
予爽然思渡者言近道。
予、爽然として渡者の言の道に近きを思えり。
わしはその時、はっきりと、さっきの渡し守が、真理に近いことを言っていたのだと思い知った。
「急いで行けば、もう間に合いますまい・・・か。なるほどな。しかたない、今晩は、さっき通りがかりに見えたお堂にでも泊まらせてもらおう。少し寒いかも知れんが仕方あるまい」
「お、あんまり怒ってない」
怒るどころか、わしは上機嫌だった。真理をまた一つ、知ったからである。
天下之以噪急自敗、窮暮而無所帰宿者、其猶是也夫。其猶是也夫。
天下の噪急を以て自ら敗れ、暮れに窮して帰宿するところ無き者は、それなおかくのごときかな。それなおかくのごときかな。
世の中にいる、焦り急いで自ら失敗し、日が暮れて帰りつくところも無く困り果てている者たち―――それはこれと同じことだ。それはこれと同じことだ。
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清・周容「春酒堂詩文集」より「小港渡者」(「小さな渡し場の渡し守」)。著者の周容は明の萬暦四十四年(1616)、浙江・寧波のひと、北京が陥落して崇禎帝が自殺(崇禎十七年・順治元年(1644))した後は反清運動に従事するが、やがて剃髪して僧侶と称し、絵を売って暮らした。「明の遺臣」といわれる人たちの一人です。氷河期世代のようなイメージでしょうか。
康煕十八年(1679)に卒。チャイナ南部は三藩の乱でまだ動揺しているころですが、もうそのころには新たな体制の中で、諦観しながら死んでいったようです。
上記の、童子一人を連れて急いでいるのは、おそらく反清ゲリラ中、という設定でしょう。童子が束ねている書類も、同志への連絡文や名簿など恐らく緊張した内容のもので、「日が暮れて帰るところも無く困窮している者」というのが、最後のあがきを続けていた「明の遺民たち」のことであること、彼の時代の人には自明のことであったでしょう。
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