11月20日 満腹中枢がおかしいんです

苦哉毒哉(苦なるかな、毒なるかな)(「袁中郎尺牘」)

食べ過ぎると①苦しく、かつ②健康に対して毒となるはずなのですが、①が無くなってきたのです。
昨日、晩飯を一回食ったあとジムに寄って家に帰ってまた晩飯を食ってしまう。だいぶん経ってから二回食ったことを思い出した。老耄の症状と思われ、ちょっとまずい。

おれたちカッパ族は、賽銭にするカネはない、キウリはある、シリコダマは渡さない、の法則でカッパ。

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明の萬暦年間(おそらく萬暦二十年(1592)ごろと推定される)です。友人の丘長孺に手紙を書きます。

聞長孺病甚。念念。若長孺死、東南風雅尽矣。能無念耶。

ところで、

弟作令備、極醜態、不可名状。

筆者は、当時、二十代後半で浙江・呉県の県令となっていた。老い耄れる年ではございませんが、コトバにできない醜態だったらしい。

どんな状態かというに、

大約遇上官則奴、侯過客則妓、治銭穀則倉老人、諭百姓則保山婆。

かくして、

一日之間、百暖百寒、乍陰乍陽、人間悪趣、令一身嘗尽矣。苦哉毒哉。

なのに県知事に再選しようとする人もいるのだから不思議なですね。いい人になっているといいのですが。

ところで、

家弟秋間欲過呉。雖過呉、亦只好令坐衙齋。

看詩読書、不得如往時。近日遊興発不。茂園主人雖無銭可贈客子、然猶有酒可酔、茶可飲。

ぜひ遊びに来てください。旅費は送らないけど。

おまえさんが来てくれれば、

太湖一尺水可游。洞庭一塊石可登。不大落寞也。如何。

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明・袁宏道「袁中郎尺牘」より「与丘長孺書」(丘長孺に与うる書)。袁宏道の名文の一つとされています。これ読むと、最初はえらく心配しているようなこと言ってますが、話題はどんどん変わっていくし、遊びに来いと言い出すし、どう考えても丘長孺の病気は大したことなさそうですね。実際、二人ともあと十年ぐらいは生きています。

なお、丘長孺はこちら(漢文日録22.11.6)にも登場しています。こちらは弟の袁小修の文章です。もう十二年も前に、先人が遺してくれたものなのだなあ。この年も三位のチームが日本一になったのか。

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