11月19日 国造りには公正な裁判も重要

失於勧救(勧救に失す)(「松窗夢語」)

今日は長い会議に出てきました。もしかしたら真実は違っているのかも知れませんが、みんなの意見に従うといいことがあるかもの精神でがんばりました。一部を除き見ざる聞かざる言わざるじゃ。しかしこんなことでは親密圏などできませんよ。

もう何十年もつけているので、外すことはできない。

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明の時代、十六世紀の後半のことでございますが、

京師群瞽為茶会、会輒数十人。内一楊一馬言論相触、恃力闘殴、皆致重傷而死。

この時、わたしは刑事を掌る西曹におり、その裁判を主宰することとなった。

二人とも死んでいるのですが、それぞれの共犯の容疑者がいたというのである。

楊坐其子、馬坐其姪。以扶其父叔、助力相殴。

「姪」は兄弟の男の子ども、つまり「甥」のことです。

二人を引き出させてみると、

皆垂髫童子。

「垂髫」(すいちょう)とは、髪を結わず項に垂らしていることで、そのような髪型をした「童子」とは、だいたい七~八歳のやつを言います。

チャイナの裁判は当時から(今は秘密もあるかも知れませんが)公開が原則ですから、観衆がいます。観衆たちが納得するような裁判をしないと「輿論」に攻撃され、裁判官の評判は落ちて考課(人事評価)にも響きます。
今回、観衆たちの「輿論」は明らかに子どもたちに同情している。

わたしの判決は次のとおり―――

両人結扭在地、甚強有力。傍観不能挙手投足、矧二稚子。

楊名殴馬馴罪当坐絞、馬馴殴楊名罪当坐絞。今有罪者皆死、而移坐子姪。是知生可償死、不知死可互償也。

すでに殺人の罪は、共犯関係の有無に関わらず、相殺されて消滅している。

よって、

各坐失於勧救、杖決。

杖刑は、執行者が強く殴るか弱く殴るかで、死刑相当になってしまうこともあれば、ほとんど何の痛みも無いこともありえる極めて裁量的な刑罰です。そして、今回は市民たちの同情が二人の子どもに集まっているので、執行者が強く殴ることはありえない。
裁きを聴いて、観衆たちは大喜びし、長老たちは腕組みしたまま頷いてくれた。輿論に応えることができました。

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明・張瀚「松窗夢語」巻一「宦游記」より。チャイナのむかしの裁判は原則公開で、どうやって「輿論」を認識するか、そしてそれに沿ってうまく判決を出すか、で裁判官の能力が試されます。輿論迎合のポピュリズム社会です。もちろん、政治事件は上の方の御意向に沿わねばなりませんが、普通の刑事事件などで輿論に反した判決を出すと、裁判官は批判されるだけでなく、民衆に引きずり出されてリンチを食らった実例もあるほどです。

筆者の張瀚は、字・子文、元洲先生と号す、浙江・仁和のひと、嘉靖十四年(1535)の進士、萬暦五年(1573)、宰相・張居正の「奪情」(父母が死んで、本人は喪に服したいのに、その感情を奪って、そのまま仕事を続けるように命じるという皇帝の措置のことです。この場合は、実際には張居正が母の死に関わらず職務を離れたくないので、皇帝にこのような措置を取らせたと言われる)を批判して失職、家に居ること十八年にして萬暦二十三年(1591)死去、卒年八十三なり、という。現役時代には、三回司法官に就き、過去の判例に詳しい名裁判官として評判だった(←本人の言では)そうです。

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