何所復憂(何をかまた憂うるところぞ)(「抱朴子」)
地震などで危険な国土に何故住んでいるのだろうか。老害への批判も強いし、もういなくなる方がいいのかも。

焼き物の赤い色も丹砂の力だ。
・・・・・・・・・・・・・・
イヤなら出て行け、というのが今の論調なので、イヤなら昇天するか、と思う人もいると思います。昨日、「昇天の薬」というものがある、と紹介しましたが、あまりにも重要なのでもう少し研究してみます。
仙人或昇天、或住地、要於倶長生、去留各従其所好耳。
仙人は或いは昇天し、或いは地に住み、要するにともに長生して、去留おのおのその好むところに従うのみ。
仙人は、一部は天上に昇り、一部は地上に暮らしている。いずれにしろどちらも長生きで、天上に行くのも地上の留まるのもそれぞれ好むところに従っているばかりである。
復還丹金液之法、若且欲留在世間者、但半済而録其半。
また、還丹金液の法、もししばらく世間に留在せんと欲する者は、ただ半済してその半ばを録す。
また、硫化水銀(丹砂)を高熱によって還元した「還丹」と、黄金の溶解液である「金液」の用法は、もしもうしばらく現世に留まっていたいという者があれば、ただ半分を服用して、残り半分は残しておくのである。
半分残すなんて、普通できません。飲み食い始めたら満腹中枢が満足するまでがつがつと摂取してしまうのが我らの定めですが、半分で止められるというのですから、「金液」はおそらく「不味い」のでしょう。
若後求昇天、便尽服之。
もし、後に昇天を求むれば、すなわちこれを尽服す。
もし後になって天上に昇りたくなったら、そこで残りを全部服用するのだ。
半分飲んだ人は、
不死之事已定、無復奄忽之慮。正復且遊地上、或入名山、亦何所復憂乎。
不死の事すでに定まり、また奄忽の慮無し。まさにまたしばらく地上に遊び、或いは名山に入り、また何をかまた憂うるところぞ。
もう死なないことは確定しているのであり、もう突然にわかに(命が断たれる)という心配も無い。しばらくの間地上にふらふらしていて、場合によっては聖なる山の中に入ってしまうということも可能であり、もう何か悩まなければいけないことなど無いのである。
彭祖が言うに、
天上多尊官大神、新仙者位卑、所奉事者非一、但更労苦。故不足役役於登天、而止人間八百余年也。
天上には尊官大神多く、新たなる仙者は位卑く、奉事するところの者一に非ずして、ただ更に労苦す。故に、登天には役役たること足らず、人間に止まること八百余年なり。
「天上には尊い仙人の役人や高い地位の神々が多くおられます。一方、新たになった仙人は地位が低く、お仕えするおえら方仙人もお一人では済みませんから、本当に苦労させられます。そこで、天に昇ることにはあまり一生懸命にならずに、人間世界にもう八百年以上とどまっているのですじゃ」
昨日の彭祖の言葉は五百歳ぐらいの時の発言と推定されましたが、今日は八百歳を超えた時のようです。最晩年ということになります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
晋・葛洪「抱朴子」内篇「対俗第三」より。不死が約束された上で地上で楽しく暮らすとは、仙人は既得権益の側です。改革が必要だ。我らにも金液を支給する必要があるのでは。
コメントを残す