其崩必疾(その崩るるや必ず疾し)(「後漢書」)
新聞など読まないのですが、内容を紹介してくれる奇特な人がいるのでありがたい。日本女性の声は世界一高い、と〇日新聞が(識者がこう言っていると)主張しているようですが、この理由はさすがにムリでは・・・と思いましたが、物言えばくちびる寒し、じゃ。我ら匿名者は、識者たちに聞き取られることのないように、低い声で語らねばならない。

すいか男は確かに弱そうなので、声は甲高そうではあります。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日は新宿で美味いメシ食って腹いっぱいになった。帰り道に地下鉄の中で眠り、帰ってきてPCの前で眠り、目が醒めてきました。しかしまた眠い。どうなっているのか。
閑話休題。美味いものを食うと、「あと何回メシが食えるのだろうか」と考えてしまいますよね。
折像、字・伯式人は広漢のひとなり。父親が亡くなった時、
有貨財二億、家僮八百人。
貨財二億、家僮八百人有り。
財産が二億、家内奴隷が八百人もいた。
「貨財二億」の単位がよくわかりませんが、とにかく莫大だったようです。
彼の人となりは
幼有仁心、不殺昆虫、不折萌牙、能通京氏易、好黄老言。
幼にして仁心有りて、昆虫を殺さず、萌牙を折らず、よく京氏易に通じ、黄老の言を好む。
幼いころから優しい心があり、飛ぶドウブツや這うドウブツを殺さず、苗木や新芽を折ることもなかった。京氏の伝えた易に詳しく、また黄帝・老子の戦略的な教えを好んでいた。
「京氏易」は京氏が伝えた易のことで、普通の「周易」とは違います。
親から財産を引き継ぐと、
感多蔵厚亡之義、乃散金帛資産、周施親疎。
「多蔵厚亡」の義を感じ、すなわち金帛資産を散じて、親疎に周施す。
「たくさん持っているとすごく失う」の意味を考え、すぐに金や絹などの資産を、親しいひとやあまり親しくない人たちにあまねく贈与した。
「多蔵厚亡の義」とは、「老子」第四十四章を観よ・・・と言われてもめんどくさいでしょうから、一番下を見てください。
あるひとが諫めて言った、
君三男両女、孫息盈前、当増益産業、何為坐自殫竭乎。
君、三男両女、孫息前に盈つ、まさに産業を増益すべきに、何すれぞ坐して自ら殫竭せんや。
「おまえさんには三人の息子と二人の娘、さらに孫たちが目の前にたくさんいる。財産や事業を増やさなければならないのではないか。どうしてわざわざ自分から財産を無くしてしまおうとするのか」
答えて言った、
昔闘子文有言、我之逃禍、非避富也。
昔、闘子文に言有り、「我はこれ禍いを逃るなり、富を避くるには非ざるなり」と。
昔、闘子文(とう・しぶん)は言ったではないか。「わしは災禍を避けようとしているのだ。富を避けようとしているのではない」と。
―――闘子文とは何者か。「国語」楚語にいう、
闘子文は楚の成王(在位前671~前625)の重臣で、何度か地位や財産を棄てて逃げ出そうとしたが、その度に、
王止而後復。
王止めて後復す。
王は彼を引き止め、地位や財産を元に戻した。
あるひとが子文に訊いた、
人生求富而子逃之、何也。
人生まれては富を求むるに、子はこれを逃る、何ぞや。
「普通の人は生きていると富を求めるのに、おまえさんはそれから逃れようとする。どうしてなのか」
子文は答えて言った、
夫従政者、以庇人也。人多曠者、而我敢富、是勤人以自封也、死無日矣。
それ、政に従う者は、以て人を庇うなり。人に曠する者多きに、我は敢えて富む、これ、人に自ら封ずるを以て勤(すす)むるなり、死するに日無からん。
「いやいや、政治に関わる者は、他の人を守ってやらねばならん。ところが、世の中には貧しい者が多いのに、わしが無理に富を得ていれば、人びとに、自分を封殺してくれと勧めているのと同じだ。すぐに殺されてしまうであろう」
つまり、
我逃死、不逃富。
我は死を逃るるも、富を逃れず。
「わしは死ぬことから逃れようとしているだけだ、富から逃れようとしているのではない」
とあります。
みなさんも考えてみてください。
・・・元に戻ります。
折像は言った、
吾門戸殖財日久、盈満之咎、道家所忌。今世将衰、子又不才、不仁而富、謂之不幸。
吾が門戸は殖財する日久しく、盈満の咎は道家の忌むところなり。今、世はまさに衰えんとせるに、子もまた不才なり、不仁にして富めるは、これを不幸と謂う。
我が一族はもう長い間財産を増やし続けてきた。満ちたものが罰を受けることは、道を知る者たちが避けようとすることだ。現在、世の中はどんどん悪くなっていこうとしている。わしの子どもたちはみな才能も無いし、その徳も無いのに富を保有しているのは、不幸というほかないではないか。
牆隙而高、其崩必疾也。
牆、隙して高ければ、その崩るるや必ず疾(はや)し。
塀が高ければ高いほど、ひび割れが出来はじめれば、あっという間に崩れてしまうものだ。
と。
「おお」
智者聞之咸服焉。
智者、これを聞きてみな服せり。
賢い人たちは、この言葉を聴いて、みな折像の考えに感服した。
その後、
自知亡日、召賓客九族飲食辞訣、忽然而終。家無余資、諸子衰劣如其言云。
自ら亡日を知り、賓客九族を召して飲食して辞訣し、忽然として終わる。家に余資無く、諸子の衰劣することその言の如しと云えり。
自分で死ぬ日がわかっていたので、お客さんや親戚一同を招待して宴会を開き、そこで別れの挨拶を述べ、突然のように死んだ。家には(宴会経費を引くと)余った資産は無かった。そして子どもたちは彼の言ったとおり、能力も無く落ちぶれていった、ということだ。
おしまい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「後漢書」巻八十二上「方術列伝上」より。うーん、この人の行動のどこが「方術」(不思議な魔術)なのかと頭を傾げてしまいますが、予知の超能力があった、ということらしいです。わたしも「これから悪いことが起こるかも知れんぞ」という予知能力とか、「こいつはみんなにニコニコしているが、もしかしたらおれには悪意を持っているかも知れんぞ」というテレパシー能力とか、軽い超能力は持っていると思います。だが、あと何回メシが食えるかはまだわからないのです。
(参考)「老子」第四十四章は以下の如し。
名与身孰親。身与貨孰多。得与亡孰病。是故甚愛必大費、多蔵必厚亡。
名と身はいずれか親しき。身と貨はいずれか多き。得ると亡(うしな)とはいずれか病(なや)める。この故に甚だ愛(お)しめば必ず大いに費やし、多く蔵すれば必ず厚く亡う。
名誉と身体(生命)と、どちらが大切か?
身体と財産と、どちらが多いか?(貴重なのはどちらだ?)
財貨を入手して所有しているのと、失ってしまうのと、どちらが心を悩ますか?
これらを考えれば、惜しめば惜しむほど費やしてしまい、多く持てば多いほどたくさん失ってしまう、ということがわかるであろう。
わかってもらえましたか? つまり、
知足不辱、知止不殆、可以長久。
足るを知れば辱めしられず、止まるを知れば殆うからず、以て長く久しかるべし。
これで十分だということがわかれば、とやかく言われるようなことにはならない。ここで止まっておこうということがわかれば、危ういことにはならない。そうして、長く久しくいられるであろう。
ためになる言葉ではありませんか。熟読玩味すべし。
コメントを残す