車馬鱗鱗(車馬、鱗鱗たり)(「趙書」)
誰も来ません。宅急便さんが時々来ます。N〇Kが来なくなった。またなにか企んでいるのだろうか。

安心していると、音も立てずに現れるんジャ。
・・・・・・・・・・・・・・・
四世紀、五胡十六国の大混乱期、
燕人龐世為光禄勛、奏案豪強、苛克人物。咸懼疾之。
燕人・龐世、光禄勛なり、奏案豪強にして、人物を苛克す。みな、懼れてこれを疾めり。
現代の北京周辺出身の龐世という人が光禄勛(こうろくくん。「侍従長」です)となった。上奏する文案は豪快で強気、他者に対して苛烈な取り締まりをしたので、ひとびとは彼にビビり、憎んでいた。
やがて、
及卒、門無弔客。
卒するに及びて、門に弔客無し。
死んだ時、誰も葬式に来なかった。
時人為之謡。
時人これがために謡いていう。
同時代人たちは、このことを民謡にして、歌い囃した。
曰く、
龐家之巷、車馬鱗鱗、泥丸之日、無弔賓。弔賓不来何所因、由性苛克寡所親。
龐家の巷には車馬鱗鱗(りんりん)たるに、泥丸の日に弔賓無し。弔賓来たらざるは何の因るところぞや、性の苛克に由りて親しきところ寡(すく)なし。
「車馬鱗鱗」の「鱗鱗」は字の間違いではありません。魚の「ウロコ」のようにみな並んで、次々と来る様子をいう。
こないだまで、龐家の小路には、車とウマがびっしりぎっしり、ウロコのよう。
泥のだんごを作る(葬儀の)日は、お弔いのお客が来ない。
お弔いのお客が来ないのは、いったい何のせいじゃいな、
御性格がきつすぎて、だあれも来てはくださらん。
・・・・・・・・・・・・・・
燕・田融「趙書」(「三十国春秋輯本」所収)より。性格が柔軟だと「柔弱すぎて誰も来ん」と批判されることでしょう。何をやっても何かをやったら言われてしまう。何もしなければ言われないかも。いや「何もしない」と言われるでしょう。今日は某所で所用を果たしたのですが、その報告は明日。
マリンズ佐々木がポスティングだそうです。いろいろ言う人がいますが、完全試合した投手です。好きにしてもらうしかない。
コメントを残す