願葬魚腹(魚腹に葬らんことを願う)(「清朝野史大観」)
こちらがいつも腹いっぱいにさせていただいてるんですから、時々は魚にも満腹してもらわねばいかん。あははは。

食えるもんなら食ってみギョ!
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明の時代のことですが、江西・豊城県の丞であった陸溥という人が、
嘗督運夜過采石。
嘗て督運して夜に采石を過ぐ。
ある時、南京までの官物運搬船の責任者として長江を下り、夜中、南京に近い難所・采石浦を通り過ぎようとしていた。
突然、どすん、と一回船が揺れ、それからゆっくりと傾きはじめた。
水夫が大声で叫んだ。
舟漏。
舟、漏せり。
「どこか浸水しとるぞ!」
采石浦の複雑な岩場を過ぎる間に、船底が岩礁を引っかけたようだ。
「浸水箇所を探せッ」
と水夫らが騒いでいる間にも、船はどんどん傾く。
船頭が陸溥の船室にやってきた。
「だんな、船が危ねえ。もしもの時は、帆柱を倒しますから、それに摑まって朝まで耐えてくだせえ」
救命具など無い時代である。水に慣れていない役人など、船が沈んだらひとたまりもない。
陸溥は言った、
「この船には人民の収めてくれた大事な納税物が載っているからね。沈ませるわけにはいかないな」
「しかし・・・」
陸溥は、おそらく船と一緒に沈むつもりなのだろう、落ち着き払って、
跪祝、曰、舟中一銭非法、願葬魚腹。
跪きて祝して曰く、「舟中一銭の非法あれば、魚腹に葬らんことを願う」と。
船室にひざまずいて、祈って言った、
「水神よ、舟の中に一銭分でも法に則らずに奪ったものがありましたら、わたくしめとともに、どうぞ魚どもの腹の中に葬ってください」
すると、ギョギョ!
忽止。
忽ち止む。
舟の傾くのが止まった。
危ういバランスを取りながら、なんとか船は采石浦を通り過ぎることができた。
翌朝、南京の船着き場に近づいたところで、水夫たちと一緒に船底を確認すると、
水荇裏三魚塞其罅。
水荇裏、三魚その罅を塞ぐ。
水くさがまつわりついている中に、三匹の魚が、船底のひび割れを塞いでいたのだった。
水夫たちは称賛して言った、
為盛徳之祐。
盛徳の祐ならん。
「こりゃ、だんなのご仁徳のおかげでっさあ」
「あははは」
この陸溥の子は、やがて
築堂、名三魚。
堂を築きて、三魚と名づく。
家の中心となる建物を築いた時、父の徳を記念して「三魚」と名付けた。
陸溥の曽孫に当たるのが、清・康煕年間の名儒・陸稼書先生である。先生の著書を「三魚堂文集」と呼ぶのは、先生がこの先祖代々の三魚堂の主人だったからである。
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民国・小横香室主人「清朝野史大観」巻五より。よかったですね。今日は昼、魚を食おうと出かけた店が満員で待ち時間が長いというので、別の洋食屋に行ってブタ生姜焼きを食べてきました。魚にはいいやつに見えたかも。もう陸揚げされてるからダメか。
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