犬馬猶識主(犬馬なお主を識る)(「後漢書」)
人間はどうでしょうか。

ウマは知らんけどニンゲンはあかんワン。
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漢の平帝(在位1~6)のころ、蜀郡の王皓は長安郊外の美陽県の令となり、王嘉はその郎(総務課長)であった。
後、王莽が簒奪する(9年)と、
並棄官西帰。
並びに官を棄てて西帰す。
ともに官職を棄てて、西の蜀の地に帰ってしまった。
蜀の地では公孫述が帝を称し(25年)、
遣使徴皓、嘉、恐不至、遂先繋其妻子。
使を遣わして皓・嘉を徴(め)し、至らざるを恐れて、遂に先ずその妻子を繋ぐ。
使者を立てて、王皓と王嘉を自分に仕えるように召し出そうとした。その際、二人が言うことを聴かないかも知れないので、先に妻子を捕らえて人質にした。
王嘉のところに来た使者は言った、
速装。妻子可全。
速やかに装せよ。妻子全かかるべし。
「できるだけ早く出発の用意を整えなされ。そうすれば、奥さまとお子さまは御無事で済みましょう」
王嘉は答えて言った、
犬馬猶識主、況於人乎。
犬馬すらなお主を識る、いわんや人においてをや。
「イヌやウマでさえ自分の主人が誰かは弁えるものでございますぞ。わたしは人間ですぞ」
「人間とイヌやウマは違いますぞ。考えなおされよ」
と言っているうちに、
王皓先自刎、以首付使者。公孫述怒、遂誅皓家属。
王皓まず自刎し、首を以て使者に付す。公孫述怒り、遂に皓の家属を誅す。
王皓の方が自分で自分のクビをはねてしまった。そして、その首を使者に公孫述のもとへ持って行かせたのである。果たして述は怒り、とうとう王皓の家族や下僕らを殺してしまった。
その報せが蜀の地に広まった。
王嘉聞而嘆曰、後之哉。
王嘉聞きて嘆じて曰く、「これに後れたるかな」と。
王嘉はそれを聞いて、「おお」と嘆声を上げ、言った。
「わしの方が後れてしまったようじゃ」
乃対使者伏剣而死。
すなわち使者に対して、伏剣して死す。
すぐに使者の目の前で、剣を立てて首に当て、その上にうつ伏せになって寝転んで、首がぽろりと落ちて、死んだ。
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「後漢書」巻八十一「独行列伝」より。さすがに人間にはそれぞれ個性がある、ということがわかります。まねしないように。
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