11月5日 こんなに長くなってしまうとは

世異則事異(世異なれば事異なる)(「韓非子」)

過まてば改むるにはばかることがないのが肝冷斎のいいところである。自説がないんです。それにしてもこんなに長いとは、昨日気づかなくてよかった・・・。

スイカ男トンプソンだ。彼なら長い話でもがまんするぞ。空っぽだからだ。

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昨日は眠かったので、「偃王」を「燕王」ではないかと推測して、あとは寝てしまいましたが、違うんです。これは「徐の偃王」のことです。「徐の偃王」説話の成立がもう少し後だと思ったので、後漢末の曹操さまの文章で触れることはないのでは、と考えて候補から外したのですが、今日つらつらかんがみるに、先秦の書にも出て来ていることがわかりました。

すなわち、以下のとおり。

古者文王処豊鎬之間、地方百里、行仁義而懐西戎、遂王天下。

一方、

徐偃王処漢東、地方五百里、行仁義、割地而朝者三十有六国。荊文王恐其害己也、挙兵伐徐、遂滅之。

どうも歴史的事実としては確認できないようですが、あったことにしてください。

故文王行仁義而王天下、偃王行仁義而喪其国。是仁義用於古、不用於今也。

世異則事異。

周よりずっと昔の原始時代のことですが、

当舜之時、有苗不服、禹将伐之、舜曰、不可。上徳不厚而行武、非道也。故修教三年、執干戚舞、有苗乃服。共工之戦、鉄銛鉅者及乎敵、鎧甲不堅者傷乎体。

つまり、有苗氏との戦では(実戦は行われず)盾とまさかりを持って踊るだけだったが、共工氏征伐には相手を傷つける本当の武器が利用されたわけである。どうせへそ踊りのような、みんな仲良くなれるようによく考えられた踊りだったのでしょう。

是干戚用於古、不用於今也。故曰事異而備変。

上古競於道徳、中世逐於智謀、当今争於気力

紀元前6世紀のことですが、

斉将攻魯、魯使子貢説之。斉人曰、子言非不弁也、吾所欲者、土地也。非斯言所謂也。遂挙兵伐魯、去門十里以為界。

つまり、

偃王仁義而徐亡、子貢弁知而魯削。

これらから敷衍して申し上げますと、

夫仁義弁知、非所以持国也。去偃王之仁、息子貢之智、循徐魯之力、使敵万乗、則斉荊之欲、不得行於二国矣。

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「韓非子」五蠧篇より。今日も長かったですが、昨日の「偃王」の比喩を知っていただき、かつ、韓非の語り口を見ていただくのにちょうどよかろうと、精一杯がんばってご紹介させていただきました。いや、ほんと大したことないですよ。

ところで、「五蠧」(ごと)とは、国家を食い荒らす五種類の蠧(きくいむし)の謂いです。韓非が挙げているのは、

学者(先王の道を称え、仁義を貴び、イデオロギーによって君主の判断を誤らせる)
言談者(その時々に新しい概念を作って君主の耳を惑わし、外国の力まで利用しようとする)
帯剣者(剣を帯びて武断や任侠を以て人民に影響を与える)
近御者(君主の側近にある者)
商工之民(華美で不要なものを製作・販売し、国家の基礎である第一次産業をおろそかにさせる)

ですが、みなさんはこのどれに当たりそうですか。それとも別のキクイムシかな?

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