11月4日 今日も休みでしあわせだった・・・が

不得已而用(已むを得ずして用うる)(「注孫子序」)

そうでない人や国が多いんです。

わしらは傘張りはするが、闇バイトはせぬぞ。

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現在は後漢の終りごろですが、わたくしが聞きましたところでは、

上古有弧矢之利、論語曰足兵、尚書八政曰師、易曰師貞丈人吉、詩曰王赫斯怒、爰征其旅。

たくさん引用していますね。それぞれ大変短い引用文ですが、的確に引用しているので、古来「名文」とされています。

(1)まずは「易・繋辞下伝」にいう、超古代の聖人は、

弦木為弧、剡木為矢、弧矢之利、以威天下。蓋取諸睽。

と書いてあります。ほんとかどうかは知らんけど、書いてあるんです。

(2)次に、「論語」顔淵篇の有名な「子貢問政」章(←全体はこちらをクリックすると書いてあるはずです)を読んでみましょう。

子貢問政、子曰足食足兵、民信之矣。

なるほど。孔子さまも「兵」(軍備)について重要視していたことがわかります。

(3)「尚書」(=「書経」)の「洪範」は、殷の遺賢(残された賢者)である箕子が、征服者である周の武王に、政治の要諦を説いたことを記録した(とされる)文書ですが、その中に「八政」(政治が行うべき八つの領域)が挙げられています。曰く、

食、貨、祀、司空、司徒、司寇、賓、師

いろんな解釈があるのですが、だいたいの感じは、

でしょうか。いずれにしろ、「師」=軍隊が入っています。

(4)「易」の「師」の卦(上が☷、下が☵の卦)の卦辞(占ってこの卦が出たときの運勢)に、

師、貞丈人吉、無咎。

「易」でも「師」=軍隊が問題にされ、正しい運用が求められている。

(5)「詩」=「詩経」の大雅に「皇矣」という詩があります。この詩は周王朝の英雄たちの叙事詩なのですが、「帝」と呼ばれる天帝が各代の王たちに正義を行うよう求めるという構成になっていて、その文王の章に、「帝」が密人が阮の国(邑制国家といわれる都市国家の小さいやつです)を侵略した、これを討伐せよ、と命じると、

王赫斯怒、爰征其旅。

そして正義を行った、

まことに文王は、

万邦之方、下民之王。

・・・①~⑤から、一番上の文章は、

原始の時代より、

黄帝、湯、武咸用干戚以済世也。

司馬法曰人故殺人、殺之可也。恃武者滅、恃文者亡。夫差、偃王是也。

「司馬法」は戦国・斉の威王の軍師であった司馬穣苴が著した兵法書、です。今も遺っているのですが、もと百五十五篇あったうちの五篇だけが残っている、というもので、この言葉も前後がはっきりしません。「夫差」は春秋時代の呉王夫差のことですが、「偃王」というのが誰のことかわからないのですが、これは燕王噲(在位前320~311)のことかも知れません。噲は、古代の宰相の子之が謙譲の徳に優れていると聞き、彼に国を譲ると言っても断るだろうとの見込みで禅譲を持ちかけたところ、本当に王位を簒奪された人です。(「偃王」についてはすぐに過ちであったことが判明しました→令和6年11月5日を見よ)

軍事は大切である。

聖人之用兵、戢而時動、不得已而用之。

わたくしは、いろんな兵書を読んでまいりました。

孫武所著深矣。審計重挙、明画深図、不可相誣。而但世人未之深亮訓説、況文煩富、行於世者失其旨要。故撰為略解矣。

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後漢(三国)・曹操「注孫子序」。曹操さまは文章巧いと評判ですが、中でも名文と言われるのがこの「孫子に注するの序」です。短い文章で言いたいことを的確に言っていく、千八百年も前の文章とは思えません。

なお、この序文では、「略解」と言ってますが、魏武注「孫子」(魏武は曹操さまのことです。漢帝国からは「魏の武侯」、彼の息子が建てた魏帝国からは「魏の武帝」とおくりなされているので、「魏武」で止めておくとどちらの略称としてもOK)の序文だったと思われます。「孫子」の本文は次の時代まで魏武注本で伝わったのですが、現在の「魏武注」は「九家注」や「十一家注」の中に取り入れられて遺っているだけなので、今「孫子」を読んでもこの序文は付いていません。ただ、宋代に集められた百科事典的な書物である「太平御覧」の中にこの「序」が引用されていて、清代のひとが発見してくれました。よかった。

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