11月3日 お粥を食べて文化的で健康な生活だ

失一大魚(一大魚を失う)(「庸閒斎筆記」)

この人はネコだったのかも。

おれがいるからには、カネの心配すんニャ。

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清の時代のことです。上海・松江の五茸出身の葉桐山は河間通判として水運を管理していたが、当時屈指の実入りのいい職であったから、

当更代日、積資余三千金。

もちろん、一金=一万円というのは、意訳です。もっと多いと思いますが、三千万円以上の額を想像しろと言われても困るので、三千万円ぐらいにしておきます。

銀行の残高で持っているわけではなく、金貨や銀貨である。葉桐山は、

悉置不問。

「それは困ります」

主者遣一吏、持至中途、以成例請、桐山曰、不受羨、即吾例也。命帰之。

「羨」(せん)は、ヒツジに口から涎を流す「エン」を下に付けた文字で、「羨む」ですが、「のこりもの、余り」の意味があります。えらい人の残り物は美味いですからね。へへへ。

そうしないと、歓迎会名目で領内から一時金を集めることになるのを知っていたからである。

葉桐山は、その後、官を辞め、

晩居春申故里、饘粥不継。

「春申」は古代の楚の地名ですが、ここでは郷里の上海のことを言っていると思います。「饘」(せん)は、どろどろした「濃いおかゆ」、「粥」(しゅく)はじゃぶじゃぶした「薄いおかゆ」のことです。

一日梅雨中、童子張網失一大魚、桐山為呀歎。

「なにやってるんだ!」「先生のせいでちゅよ」

其妻聞之、曰三千金却之、一魚能値幾何。

桐山亦撫掌大笑。

という。

好名之人、能譲千乗之国、苟非其人、箪食豆羹見於色。此真孟子通達世故語也。

天下を支配する周王が「万乗の君」ということ、と、徳川将軍の領地が600万石余、ということから、千乗(戦車千台の軍備を持つ国)を約50万石、と計算してみました。もちろん意訳です。

雖然、居今之世、桐山可不謂賢乎。

わたしもこれなんです。今日は久しぶりで〇野家の牛丼を食ったが、何セットにするかで悩んでしまうとは。

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清・陳其元「庸閒齋筆記」巻二より。結局は一番安価なおしんこセットにしてしまいました。セットにしない選択もあったが、セットはつけたのだからえらいものだ。

なお、※印の孟子の文は、朱子の解釈(「孟子章句」)がこうなっているので、この人もこのように解していますが、太字の

の部分を

と解する有力説もあります。この場合だと、10万石を譲る程度の人だと一杯のごはんでも顔色に出る、50万石だと出ない、と言うことになります。本当にこういう解釈論はおもしろいですね。一生やってられる。

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