変為童子(変じて童子と為る)(「神仙伝」)
「変態童子」ではありませんので、念のため。

老害になってきました。
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ハロウィンですから子どもたちがあちこちの駅前で騒いで騒乱状態となっていることでしょう。強盗団もあちこちで活動しているのでしょうか。いよいよ日本の「安全」神話も崩壊してきました。
漢の時代のことですが、淮南王・劉安の屋敷に、八人の老人がやってきました。
「わしらは長生術に詳しい。王さまは道術にご興味があると聞いたので、遠路はるばるやってきたのじゃ」
と門前でわいわい騒いだ。
門番から取り次がれた王は訊いた。
「どんな風体だ?」
「みんな白髪の老人です」
「それでは長生術など偽りではないか。追い返せ!」
「わっかりましたあ」
門番が戻ってきて王の言葉を伝えると、
八公笑曰、我聞王尊礼士、吐握不倦、苟有一介之善、莫不畢至。
八公笑いて曰く、我聞く、王は士を尊礼し、吐握も倦まず、いやしくも一介の善有れば、ことごとく至らざるなし、と。
八人の老人たちは笑って言った。
「わしらは、王さまは異能の士を尊び礼を以て接し、面会の申し出があると(周公のように)食事中なら食べていたものを吐きだし、風呂に入っていたら濡れた髪を握り絞って、面会することもいやがらない、もし少しでもいいところがあれば、あらゆる人と面会なさる、と聞いたんじゃがなあ」
そして、昔の人たちの振る舞いを数え上げ始めた。曰く、昔は「九九」が唱えられるだけ、あるいは鶏の鳴き真似や犬の吠える真似ができるだけでも、雇われたものじゃ、死んだ馬の骨を買って名馬を得ようとした人もいましたなあ、まず郭なんとかから始めて、英傑が集まった国もあったのう、などと言い募った。
「とにかく王さまはお会いしないと言っているのだから、帰った、帰った」
吾年雖鄙陋、不合所求、故遠致其身、且欲一見王。雖使無益、亦豈有損。何以年老而逆見嫌耶。
吾は年鄙陋にして求むるところに合わずといえども、故に遠くその身を致し、かつ王を一見せんと欲すればなり。益無らしむといえどもまたあに損有らんや。何を以て年の老いたるを以て逆に嫌わるるや。
「わしらは年をとって、田舎っぽいしみじめで、王さまが求めているような人材にぴったり合わないのかも知れぬが、そういうわけで遠いところをこの身を引きずってまいりましたのじゃ。それに、王さまには一度でも面会したいと思いましてなあ。確かに会っても一文の得にもならんかも知れんが、何か損をかけることになるはずはございませぬ、それなのに、何故、年の老いたるを以て逆に嫌がられるのかなあ」
王必若見年少、則謂之有道、皓首則謂之庸叟、恐非発石採玉、探淵索珠之謂也。
王の必ず、若し年少に見(あ)えば、すなわちこれを有道と謂い、皓首なればすなわちこれを庸叟と謂うは、恐るらくは石を発し玉を採り、淵を探りて珠を索(もと)むるの謂いに非ざるなり。
「王さまは(わしらを差し置いて)若い衆には必ずお会いになって、彼らには可能性の道が有るとおっしゃり、白い頭の者をぼんくらじじいと言って軽蔑してしまうのは、(人材を探す手法ではなく、)おそらくは、和氏の玉を確認するように石を割ってでも玉を求め、深い淵の底を探って龍の持つ珠を探すというようなこととは、ずいぶん違ってしまうことでしょう」
薄吾老、今則少矣。
吾が老なるを薄しとする、今はすなわち少ならん。
「とにかくわしらが年寄だと思ってバカにしくさるのじゃ。よし、若者になろうではないか」
と言うと、
言未竟、八公皆変為童子、年可十四五、角髻青糸、色如桃花。
言いまだ竟(お)えざるに、八公みな変じて童子と為り、年十四五可(ばか)り、角髻青糸にして、色は桃の花の如し。
その言葉がまだ終わらないうちに、
ぼよよ~ん。
八人の老人はみな童子に変身していた。年のころは十四五歳、黒く糸のような頭髪を(未成年の髪型である)角のように結び、なんといっても顔色はモモの花のようにつやつやと赤い。
「これでどうでちゅか」
門番はまた王に告げて云う、
「八人の老人はみな童子に変じました!」
「なにい! 早くお通しせぬか!」
その時には老人たち(童子たち)は、
「うっしっし、子どもなので誰も止めるものはないのでちゅー」
と言いながら、ずかずかと中庭に入ってきたのであった・・・。
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伝・晋・葛洪「神仙伝」巻三より。イタズラか?お菓子か? それとも強盗か? このあとどうなるかは、またのお楽しみ。今日はシゴト上手く行った!と一人ほくそ笑んでいたら、若いひとに叱られたので、子どもにでもなってしまいたい気分じゃ。だが、うっしっし、と笑い顔。生きているだけでありがたいことゆえに。
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