10月31日 来月はどんな月になるだろうか

如別黒白(黒白を別するが如し)(「松窗夢語」)

将来のことが見える人にははっきりと見えているのでしょう。しかし、凡人なので「こうなる」と思ったことはまず外れます。

来月の日本、わしの当たらない予想が当たらなければいいのじゃが・・・。

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明の初めごろ、浙江・四明の袁珙(えん・きょう)という諸生は、ある日、

偶迷失道、入深山遇異人。

長く白いヒゲを垂らし、山中に長く住んで、いろんな道術を研究しているという。その人の棲み処に泊めてもらって、しばらくお世話になったが、その間、

命以五色綫向日下弁之。後閲人富貴寿夭、如別黒白云。

この術を使って旅費を稼ぎながら、燕の大都(現在の北京)にやってきた。当時、大都には、明・太祖の第四子・朱棣が燕王として封じられていた。

人相見の看板を立ててしばらくすると、とにかく当たるというので評判になり、現地の相当の重要人物も将来を占いに来るようになったが、その中に、

目為公侯。   

と見られる人が多数いることに気づいた。

(こんな田舎にどうして?)

とは思ったが、占いの結果には自信があるので、彼らには素直に占果を告げた。

そうしているうちに、その中の一人に案内されて、壮年の男が占いに来た。「どうぞ、こちらにお座りに・・・」と案内されてきたその男を、

袁一見、伏地叩首。

最大限の敬意を払ったのである。

そして、

仰対曰、殿下、龍質鳳姿。

殿下、すなわち燕王自身であることを見抜いた上で、言った、

天高地厚、真太平天子也。向所見諸貴人、因此貴耳。

燕王は困ったような顔をして、
「わかった。けど、他人に言うなよ」
と言った。
後、靖難の役を経て燕王が南京で「永楽帝」として即位すると、浙江に戻っていた袁珙は呼び出されて、占いや陰陽のことを掌る太常寺の丞(次官)となった。袁珙は「柳荘先生」と号したので、明の時代には、占いのできる人のことを「柳荘流」(柳荘先生の系列のひと)と呼んだ。

息子の袁忠徹は父以上の術者と謳われたが、そのお話はまたいつかいたしましょう。

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明・張瀚「松窗夢語」巻六より。五色の糸を見つめていると見えるようになるみたいですよ。あとは、シロをシロ、クロをクロという勇気があるかどうか、ですね。

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