変為桃人(変じて桃人と為れり)(「酉陽雑俎」)
現代人なら、どこまで本当なのであろうかと悩むところだが、むかしのひとだから全部本当のことだったのであろう。

おろかな東洋のニンゲンたちは、まぼろしを見ていたのでワンよ。
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唐の時代のことですが、魏韋英という人が亡くなった。
妻梁氏嫁向子集。
妻の梁氏、向子集に嫁す。
女房だった梁家からの嫁は、向子集のところに再婚することになった。
二夫に見えず、という倫理は宋代以降のがりがり儒学のせいですから、それ以前は、夫を亡くした女性はやがて再嫁して新しいシアワセをつかむのが普通のことでした。
嫁日、韋英帰至庭、呼、阿梁、卿忘我耶。
嫁(か)さんとする日、韋英帰りて庭に至り、呼ばう、「お梁、卿は我を忘るるか」と。
再嫁しようという日、前のだんなの韋英が(あの世から馬に騎って)帰ってきて、家の中庭にやってきた。そして大声を張り上げた。
「お梁さん、おまえはもうおれのことを忘れたのかい」
と。
「なんなんだ、こやつは」
向子集驚張弓射之、即変為桃人、茅馬。
向子集、驚きて弓を張りてこれを射るに、即ち変じて桃人・茅馬と為る。
新しい夫の向子集は、驚いて弓を引き絞り、この(魏韋英の姿)を射た。すると――魏韋英と見えていたのは、桃の人形と茅で作ったウマに変化した。
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唐・段成式「酉陽雑俎」巻十三より。大らかな時代であったといえるだろう。みんな元気があってよろしい!
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