無形無声(形無く声も無し)(「草木子」)
ないものはありませんよ。

こんなものたちはいないいないいない、絶対にいない!
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物之有形有声者、人畜是也。有声無形者、雷霆是也。有形無声者、木石是也。
物の形有り声も有るものは、人畜これなり。声有りて形無きものは、雷霆これなり。形有りて声なきものは、木石これなり。
視力で把握できる「かたち」を持ち、聴力で把握できる「おと」を出すものがある。人間や動物の類である。
「おと」だけがあって「かたち」が無いものがある。かみなりがこれである。
「かたち」はあるが「おと」を出さないものがある。植物や岩石の類がこれである。
これらに対し、
無形無声者、此体物而不可遺者也。
形無く声無きものは、これ物に体して遺すべからざるものなり。
「かたち」を持たず、「おと」も出さないのは、何かに一体化してあとに何も残さないものである。
「無声無臭」ではありません。これは「詩経」と「中庸」の問題になるので、長くなるのイヤなのでまたどこかで。
学者所当思也。
学者はまさに思うべきところなり。
学問をする者は、このことをよく考えなければならない。
北宋の程伊川が言うに、
鬼神於若無若有之間、断遣得去、則知之矣。
鬼神の無きがごとく有るがごときの間におけるや、断じて得て去らしむれば、すなわちこれを知らん。
霊的なものが無いような有るようなの中間みたいな状態にある時は、断定してどこかに行かせてしまうことじゃ。そうすればそれがどういう性質のものであるか知ることができよう。
つまり、物から離れれば無くなるものであるのだ。むにゃ。
北宋の邵雍は言った、
鬼者人之影也。
鬼なるものは、人の影なり。
霊的なものは、現実に生きる人間が世界に落とした影だ。
人間がいなくなれば、いなくなる・・・むにゃ・・・のだ。
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元・葉子奇「草木子」巻二下より。昨日から眠くてしようがないんです。起きているかいないかわからないような状態。断じて眠ってしまえば眠れますが、起きていようとすると無理だ。今も寝ながらキーボード打ってるので、なんどもふがふがと意識を失っています。実は霊的なものになりつつあるかも・・・にゃ
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