盥洗更視(盥洗して視を更(あらた)む)(「後漢書」)
会議に出ると確実に五~十分以内に目がしょぼしょぼして眠ってしまうので、えらい人に見られたら「怪しからん」と言われるので困っているのです。たらいで目を洗うぐらいで目が醒めるといいのですが・・・。

こぐまのやろうの方が北極星としてでかい顔をしているので、井戸にはまっても助けてやらないでクマー。冷酷でクマー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
漢末に王莽が新国を建てると各地で反乱が起こりましたが、蜀の地ではしばらく公孫述が政権を握った。
任永業と馮信は
並好学博古。
並びに学を好み古しえに博し。
二人とも、学問が好きで、むかしのことを広く知っていた。
公孫述連徴命、待以高位、皆託青盲以避世難。
公孫述、連ねて徴命し、待つに高位を以てするに、みな青盲に託して以て世難を避く。
公孫述が何度も出仕するように促し、高い地位を以て迎えようとしたが、二人とも、「青盲」(目は開いているのだが、見えないタイプの盲人。「あき〇〇〇」)だと称して、それによって困難な世間と関わることを避けた。
二人が同じ方法を取った、ということは、何らかしめし合わせていたのかも知れません。
目をあけているけど見えない、と言うのです。
実際に、手探りで何かを探そうとして頭をぶつけたり、誰かがぶつかって来ても、試しにものを投げつけてみても、避けない。どうやら本当に見えないようなのである。
それがわかると、
永妻淫於前。
永妻は前に淫す。
永業の妻は、夫の目の前で間男とエッチをした。
それでも任永業は見えない(らしい)ので、
無言。
無言なり。
何も言わなかった。
また、
信侍婢亦対信姦通。
信の侍婢、また信に対して姦通す。
馮信の侍女も、信の真正面でおとことエッチした。
傷ましかったのは、任永業の幼い子供が、井戸に墜ちて死んでしまうという事故のあったことである。永業は目の前にいたのに、その子どもがどうなったかに気づかなかったので、
不救。
救わず。
救出しようともしなかった。
というのである。
それらの報告を受けて、公孫述も仕えさせるのを諦めざるを得なかった。
数年後、公孫述が倒された。その報せが届くと、
皆盥洗更視。曰、世適平、目即清。
みな盥洗して視を更(あらた)む。曰く、「世平に適(ゆ)き、目即ち清めり」と。
二人とも、たらいに水を張って目を洗った。そして、
「世界が平和に向かい始めたので、目も視力を回復したようだ」
と言って、見えるようになったのである。
見えないふりをしていただけだったことは明らかであった。
淫者自殺。
淫者自殺せり。
目の前でエッチをしていた永業の妻と馮信の侍女は自殺した。
二人はその報せを受けても表情も変えなかった。しかし永業は、子どもの落ちた井戸の前で、数日間、声を上げて泣いていたということである。
光武聞而徴之、並会病卒。
光武聞きてこれを徴すに、並びに病いに会して卒す。
後漢王朝を建てた(正統な君主である)光武帝は二人が賢者であると聞いて、仕官するよう求めた。二人は断らなかったが、仕官の前にともに病気になって死んでしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「後漢書」巻八十一「独行列伝」より。さすがはチャイナです。文化程度が高いので道義に篤い。エッチの方はにやにやして見てただけかも知れませんが、子どもが井戸に落ちても見えないふりをするとは。我々も見習わなければ。
コメントを残す