身住陋巷(身は陋巷に住む)(「河上肇詩注」)
彗星見たいですがまだ見てません。毎日見ようとして見逃しているんです。明日からは雨だという。いずれにしろ、明治末のハレー彗星のしっぽに入るぐらい彗星のでかい状況でも、でっちあげの大逆事件しか発生しなかったのですから、これぐらいの彗星では人心には何の影響もないと思います。安心してください。ベイスターズの「下剋上」はあるかも。

今日は満月でがおう。
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そうです。満月は見れました。
余、晩歳得楽閑居、雖身住陋巷、心常似游山川。
余、晩歳、閑居を楽しむを得、身は陋巷に住むといえども、心は常に山川に游ぶに似たり。
わしは、年を取ってからヒマに暮らすことができるようになったんじゃ。現実には町中の路地に住んでいるのじゃが、心はいつも山や川に旅しているように感じている。
このへんまではこの人と同じような境遇です。
乃賦一絶、以叙心境。
すなわち一絶を賦して、以て心境を叙さん。
そこで、絶句を一首作りまして、いまの心持を述べてみましょう。
以下のごとし。
長江随浪下、無事到心頭。
長江浪に随いて下り、事の心頭に到る無し。
大きな川が波を立てながら流れていく。
今のわしには、何にも心に引っかかることはない。
対月披襟臥、烟波載夢流。
月に対して襟を披きて臥せば、烟波は夢を載せて流る。
月を見ながら浴衣の襟を開いて寝転がっている。―――うとうとと浅い夢を見た。
もやにかすむ川の波は、その夢をのせて流れていく。
作者はこの時は東京にいるので、「長江」は揚子江ではなく荒川か多摩川でしょう。
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本朝・閉戸閑人・河上肇「絶句」(一海知義「河上肇詩注」より)。この詩は昭和15年の秋の作品だそうです。作者はこの年、満年齢で六十二歳。「晩歳」と言い条、意外と若いのでは。京大を離れ労農党も潰滅して、著書も発禁だし、ほんとに閑人になっております。
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