依旧売豆腐(旧に依り豆腐を売る)(「堅瓠集」)
今日はいつもの倍ぐらい人来てはるなあ。夕方、ピアノを聴きに行ってきました。ああいうのを「拡張奏法」というんだ、なるほど。帰ってきて時間も遅いので、カロリーが低いという豆腐を食いました。

頭ぶつけないように気をつけよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
清代に「破冒」ということが流行ったんだそうです。
「なんじゃ、それ?」「ためになるの?」「現代人の向上心を満たしてくれるかな?」
とみなさんもご興味をお持ちになることでしょう。
これは、まずAさんが「冒」(ぼう)というなぞかけをします。「冒」は「かぶりもの」「帽子」の趣意。「上の句」です。これに対し、Bさんがこの「冒」の意味を対句表現などを交えて解き明かす「下の句」をつけます。これが「破」です。単になぞかけに答えるというだけでなく、「下の句」で科挙試験にも使えそうな文学的・哲学的なことをビシッと答えると、名回答ということになります。
「そんなことやってて、あほちゃうの?」
と思うかも知れません。わたしもそう思いますが、その当時は昔なのでそんなことしてる人がいたんです。
何中黙少能文、善以破冒。
何中黙は少より文を能くし、破冒を以て善くす。
我が郷土の先輩である何中黙どのは、幼いころから文章を作るのが上手く、特に「破冒」については大人顔負けであった。
ある人が誰か大人が知恵をつけているのではないかと疑って、
因出其郷諺為題。
因りてその郷諺を出だして題と為す。
このあたりでは誰も知らないであろう、その人の郷里でよく使われる「ことわざ」を出して、「冒」とした。
曰く、
張豆腐、李豆腐、一夜思量千百計。明朝依旧売豆腐。
張豆腐、李豆腐、一夜思量す千百計。明朝、旧に依りて豆腐を売る。
豆腐屋の張、豆腐屋の李、晩にあれこれいろんなことを考えた、けれども朝にはいつもどおりに豆腐売り。
何少年は即座に「破!」と唱えて言った、
姓雖異而業則同、心無窮而分有限。
姓は異なると雖も業は同じく、心は無窮なれども分には限り有り。
苗字は違うがシゴトは同じ、心のはたらきは窮まりないが各人の持前には限りがある。
「見事じゃ!」
とみんな感心したそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
清・褚人獲「堅瓠集」より。「破」が上手いのか下手なのか全くわかりませんが、子どもがこんな分かったようなことを言ったら「すごいでちゅねー」と褒めてやるのが、今も昔も立派な大人のすべきことなのでしょう。
何中黙少年の答えより、お題に使われた郷諺がいいですね。「明日こそは・・・」といろいろ考えていますが、毎日毎日何一つ進歩しないわれら人民のおかしさ、かなしさ、ゆかしさを見事に言い表してるではありませんか。
この郷諺、「堅瓠集」に書かれたおかげで、民国十一年刊(1922)の「俗語典」に「張豆腐李豆腐」として掲載されています。よかったです。それにしてもこの本ためになるな。一日一つずつ読んでくと、命数尽きるころにはすごい賢者になれるかも。
強龍不敵地頭蛇。
強龍は地頭蛇に敵せず。
どんなに強い龍もその土地に棲息するヘビには敵わないものじゃ。
だそうです。清末民初の混乱期に、地元の団練(義勇軍)の結束を呼び掛けた言葉のようですが、ハゲタカファンド(←といまは言わないようです。認識不足でした)に狙われた(←これも認識不足)企業などに道士のかっこうをして出かけて、
「強龍は地頭蛇に敵せず、じゃ。変わらぬものが勝ちですぞ、ほっほっほ」
と笑ったりすると「経営参謀・今諸葛」などと称されてかっこいいかも。認識不足と追い出されるかも。
コメントを残す