左旋白螺(左旋の白螺)(「楡巣雑識」)
珍しいらしいんです。見たことないけど。

写実主義とはいえ、この図では巻いてる方向がわかりません。いや、なんとなくわかるかも。自画ながら色の付け方上手いと自賛してしまいますね。
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巻貝というのは、(かたつむりも含めて)右に巻くものなのだそうです。右に巻くというのは、上(殻の突端)から見て、時計回りに巻いているということです。突端を上にしたとき、殻の出口(さざえのふた)が必ず右側にある、という説明もできるそうです。
が、そうでない巻貝がこの世にはあるのだ。
我が清帝国の皇室倉庫には、
蔵左旋白螺。為達頼喇嘛所進。
左旋の白螺を蔵す。達頼喇嘛の進ところ為り。
左巻きの白い巻貝を保有している。ダライラマが献上下さったものだ。
ホントにダライラマが献上してくれたのでしょうか。ともあれ、
足以避水患。
以て水患を避くるに足る。
この貝を身に着けていると「水のわざわい」から免れることができるのだという。
ホントかな。
嘉慶庚申、上給冊邦琉球正副使趙文楷、李鼎元携以渡海、往返平寧。
嘉慶庚申、上、冊封琉球正副使の趙文楷、李鼎元に給いて携えて以て渡海せしむるに、往返平寧なり。
嘉慶庚申の年(1800)、皇帝は、琉球王を封ずるための正副の使者、趙文楷と李鼎元に、お渡しになって、携帯して海を渡らせたところ、行きも帰りも平安な船路となったというのである。
なんと、ホントだったのです。
一回だけなら偶然かも知れない、と思うかも知れませんが、
戊辰、齊鯤、費錫章簡正副使、継往冊封、恩准携帯。
戊辰、齊鯤、費錫章簡正副使の継いで冊封に往くにも、携帯を恩准す。
戊辰年(1808)に、今度は齊鯤と費錫章簡が正副使となって、冊封に行ったときにも、ありがたいことに携帯することをお許しになられた。
この時も無事だったのです。
そんな素晴らしいものは皇帝のお手元に置いていろいろ使うべき、と思うのですが、
近聞留貯閩督署、凡督撫渡台、並可帯往。
近聞するに、閩の督署に留貯され、およそ督撫の台に渡るに、並びに帯往を可とさる。
最近聞いたところでは、琉球から帰って来たあと福建の総督府に留め置かれていて、福建の総督や巡撫が所管の台湾に渡る時に、いつも携帯していけるようにしてあるそうである。
我が清朝皇帝が如何に部下を大切にされるか、恵みの深さがわかるというものだ。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」巻下より。何年も前に見つけた記事ですが、今日まで黙っていました。当時はまだ一旗揚げようと思っていたので、誰にも教えないでおいて左巻きの巻貝を発見できれば、グローバルなビジネスにおいて利活用してメジャーなマーチャンタリゼーション・パーソンになれるかも、と思ったのです。しかしすぐに忘れてしまい、今日久しぶりで同書を眺めていたら再発見しました。もはやグローバルに一旗揚げる気もないので、みなさんに情報提供します。
なお、日本の北陸地方に棲息する「のとまいまい」というカタツムリは、左巻きだそうです。白いの見つけたら水患を避けることができて、グローバルで活躍できるかも。そんなことよりは、孫の相手の方が大事だと思いますけど。
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