従命利君(命に従いて君を利す)(「荀子」)
先秦時代の孔孟や老荘や諸子百家などを引用すると、必ず最後は現代の社長やえらい人や国民一般などを批判しているようなことになってしまって、肝冷庵も立場上困っております。今日のお話も、現代のみなさまのお逆鱗に触れなければいいのですが・・・。

「逆鱗」は「韓非子」の寓言であって、ホンモノのぼくたちには無いよ。
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従命而利君、謂之順。
命に従いて君を利する、これを順と謂う。
命令どおりにやって、それによって主君に利益を与える。このような人を「順臣」(まっとうな部下)という。
これはいいと思うのですが、
従命而不利君、謂之諂、逆命而利君、謂之忠、逆命而不利君、謂之簒。
命に従いて君に利せざる、これを諂と謂い、命に逆らいて君を利する、これを忠と謂、命に逆らいて君に利せざる、これを簒と謂う。
命令どおりにやって、それによって主君に害悪を与えてしまうような人を「諂臣」(ご機嫌とりの部下)といい、命令に逆らって主君に利益を与える人を「忠臣」(まごころの部下)といい、命令に逆らってしかも主君に害悪を与えるやつを「簒臣」(権限を奪う部下)というのである。
「逆命利君」の方が「従命利君」より有名ですね。
さらに、
不䘏君之栄辱、不䘏国之臧否、偸合苟容、以持禄養交而已耳、謂之国賊。
君の栄辱に䘏(かか)わらず、国の臧否に䘏わらず、合を偸みかりそめに容れ、以て禄を持し交を養うのみなる、これを「国賊」という。
主君にいい悪いなど考えない、国家にいい悪いなど考えない、君主に迎合し表面だけは理解し、それによって給料をもらい、仲間(この場合は食客です)たちを処遇することだけを考えている。こんやつを「国賊」というのだ。
以上、順臣、諂臣、忠臣、簒臣、国賊の五種類のみなさんが明らかとなりました。
この忠臣の中にもまた、次の四種類がおります。
君有過謀過事、将危国家、殞社稷之懼也、大臣父兄、有能進言於君、用則可、不用則去、謂之諫。
君に過謀・過事有りて、まさに国家を危うくし、社稷を殞(おと)すの懼れあるや、大臣・父兄に、よく君に進言して、用いらるれば則ち可、用いざられば則ち去る、これを諫と謂う。
君主に間違った計画や間違った事業があって、国家を危険に陥らせ、人民を死なせるような状況になったとき、よく君主に対して進言し、用いられればそれでよし、用いられなければ国を去ってしまう(ような臣下の)人物を「諫臣」(諫めてくれる部下)という。
有能進言於君、用則可、不用則死、謂之争。
よく君に進言して、用いらるれば則ち可、用いざられば則ち死す、これを争と謂う。
よく君主に対して進言し、用いられればそれでよし、用いられなければ死を以て国に殉じる(ような臣下の)人物を「争臣」(言い争ってくれる部下)という。
有能比知同力、率群臣百吏、而相与彊君、矯君、君雖不安不能不聴、遂以解国之大患、除国之大害、成於尊君安国、謂之輔。
よく知るを比べ力を同じくし、群臣百吏を率いて、相ともに君に彊(し)い、君を矯め、君、安んぜすといえども聴かざる能わず、遂に以て国の大患を解き、国の大害を除き、尊君安国において成すことある、これを輔という。
よく知識を交換し協力しあって、群臣やたくさんの官吏たちと力を合わせて、いっしょに君主に強制し、間違いを正させ、君主の方も不安はあるものの、その主張を聞かざるを得ないようにする臣下、最終的には国の大きな心配事を解消し、国の大きな害悪を除き、君主が尊ばれ国が安定するのに役に立つ。このような臣下を「輔臣」(補佐してくれる臣下)という。
また、
有能抗君之命、竊君之重、反君之事、以安国之危、除君之辱、功伐足以成国之大利、謂之弼。
よく君の命に抗い、君の重を竊み、君の事に反し、以て国の危を安んじ、君の辱を除き、功伐以て国の大利を成すに足る、これを弼という。
よく君主の命令に抵抗し、時には君主の権限を勝手に使い、あるいは君主の方針に反し、それによって国の危険を安定させ、君主の屈辱を晴らし、平時・戦時の功績によって国に大きな利益を与えることのできる者、このような臣下を「弼臣」(助け導いてくれる部下)という。
諫・争・輔・弼が出そろいました。
みなさんはどれに該当しますか。
諫争輔弼之人、社稷之臣也、国君之宝也、明君之所尊厚也。而闇主惑君、以為己賊也。
諫・争・輔・弼の人は、社稷の臣なり、国君の宝なり、明君の尊厚するところ、而して闇主惑君は、以て己の賊と為す。
諫臣・争臣・輔臣・弼臣は、(君主一人ではなく)国家の臣であり、君主の宝物である。すぐれた君主は彼を尊敬し厚遇する。ところが、ダメな君主・騙されている君主は、このような臣下を自分の(言うことを聴かない)敵だと思うのである。
故明君之所賞、闇君之所罰也、闇君之所賞、明君之所殺也。
故に明君の賞するところは、闇君の罰するところなり、闇君の賞するところは明君の殺すところなり。
こういうわけで、すぐれた君主が賞賛する人は、ダメな君主に罰せられることになるし、ダメな君主に賞賛されるやつは、すぐれた君主には誅殺されることになる。
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「荀子」臣道篇より。このあと明君と闇君への仕え方の違いなども教えてくれます。荀子が当時(戦国末)に大人気だったのもわかろうかと思います。今でもタメになる? なんで・・・と言いかけましたが、あぶないあぶない、お逆鱗がございます。言わないことにしようっと。
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