10月7日 人間は無かったことも記憶するらしい

何曾夢覚(何ぞかつて夢覚めし)(「東坡詩余」)

やっと秋らしくなってきました。明日はぐぐっと寒いみたいです。夜遊びする人は気をつけよう。

おお、美しいひとよ。

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北宋の蘇東坡が、徐州・彭城にやってきた。

夜宿燕子楼、夢盼盼、因作此詞。永遇楽。

といって、詞を書いています。いかにも秋の夜の冷涼な雰囲気が出ているので、読んでみましょう。

明月如霜、好風如水、清景無限。
曲港跳魚、円荷瀉露、寂寞無人見。
紞如三鼓、鏗然一葉、黯黯夢雲驚断。
夜茫茫、重尋無処、覚来小園行遍。

長いですね。

「円荷」はまるいハスの葉、「紞如」(たんじょ)は太鼓のどんどんという音、「鏗然」(こうぜん)は金属音、「がちゃり」。「黯黯」は暗い状態、あるいはそんな気分、「夢雲驚断す」は戦国の時代、楚の襄王が夢に美しい女と会って愛し合ったところ、女は自分は巫山の女神であり、見上げてもらえば、朝に雲、夕べに雨となっていることであろう、と述べて、そこで夢が断たれた、という故事を踏まえております・・・ということぐらいを踏まえていただくと、だいたい意味はわかります。

長いんですが、これが一番です。この詞は「双調」なので、ほとんど同じ旋律をもう一回繰り返す、つまり二番があります。字数や韻を考慮して、二番を巧く作るのが、腕の見せ所。

天涯倦客、山中帰路、望断故園心眼。
燕子楼空、佳人何在、空鎖楼中燕。
古今如夢、何曾夢覚、但有旧歓新怨。
異時対、黄楼夜景、為余浩嘆。

東坡がここに来る前の赴任地で、「黄楼」という建物を造った、ということだけ踏まえていただくと、こちらもだいたい意味はわかります。

わーい、これでやっと終わり。

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宋・蘇東坡「永遇楽」。二番は「古も今も夢の如く、何ぞかつて夢の覚めしか、ただ旧の歓と新の怨の有るのみ」という「サビ」の部分はいいのですが、あとは全体に説明口調が多くなっているような気がします。しかし彼は推敲みたいなことをほとんどしないみたいなので、「ほいほい」と言いながら作っているにしてはよくできていますよね。サビの部分だけでも口ずさんでいれば、自分にも何か、あったはずのないロマンスがあったような気もしてくるではありませんか。

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