10月6日 我が人生、女房に相談する必要はない

殺賢之名(賢を殺すの名)(「後漢書」)

大きく出ましたね。共働き夫婦が増えているそうです。

どくに刺されると痛いでソリ。

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共働きなどの概念の無い紀元1世紀のころのことです。
前漢が新の王莽に乗っ取られ、その新が反乱に遭って滅んだ後、後漢の光武帝が天下を統一するまでの間、蜀の地では公孫述が皇帝を名乗って支配しておりました。

公孫述は、李業という賢者が隠棲しているというので、これを召したが、病と称して出てこなかった。

数年、述羞不致之。

そこで、腹心の尹融に、毒酒を持たせて李業のところに行かせた。仕官してくれるなら大臣の地位を約束し、仕官しないようなら毒酒を奨めて脅してみろ、と指示したのである。あくまでも「脅し」のつもりであった。

尹融は李業に面会すると、もともとともに学問に志した仲である。率直に言った。

方今天下分崩、孰知是非、而以区区之身、試於不測之淵乎。朝廷貪慕名徳、曠官欠位、于今七年。四時珍御、不以忘君、宜上奉知己。

李業も正直に言った、

危国不入、乱国不居、親於其身為不善者、義所不従。君子見危授命、何乃誘以高位重餌哉。

尹融は李業の志を屈する気がないのを見てとると、言った、

宜呼室家計之。

李業曰く、

丈夫断之於心久矣。何妻子之為。

「よろしい」

尹融は毒酒を与え、李業は

遂飲毒而死。

これを聞いて、驚いたのは公孫述であった。

聞業死、大驚、又恥有殺賢之名、乃遣使弔祠、業子翬逃辞不受。

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「後漢書」独行列伝より。賢者を殺してはいけません。賢者でなければいいのか、と言われるとそうでもないのですが。

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