調査報告(沖縄豊見城)

10月5日(土)観タマノルマから解放されたが、調査ノルマが始まった。今日は那覇と豊見城をつなぐ「真玉橋」から東にある長嶺に昇ってみます。

〇嘉数のバンタ ・・・ 真玉橋を渡って、左側のかなりきつい坂をあがります。

急な坂を登ったところに見晴らしのいい場所があって、そこが「嘉数パンタ」です。「パンタ」は大和言葉の「ばた」だと思ってください。沖縄では、「崖」や「坂」を指す地形用語です。昭和戦前までは、このパンタが行楽地になっていて、漫湖や那覇の町、さらに東シナ海まで見渡せたそうです。今は学校法人の駐車場になっているようで入れません。

〇英慈王の墓 ・・・ 浦添の英祖王系第三代とされる英慈王の墓があるということなのですが、発見できず。途中にかっこいい鶏が放し飼いになっており、少し心を通じ合えたのが収穫。

グーグルでみるとこの繁みの中あたりなのですが、左側にある家の人が見ているし、これ以上近づけません。繁みの下は重機が入って工事しているので、ちょうどぶっ壊しているのかも。

〇長嶺グスク ・・・ 14世紀、長嶺按司の居城だったそうです。物見台とその下の「台所」と呼ばれる区画、さらに按司墓があります。

この按司墓のある区画が「台所」か。城主の常の居所なのではないかと思われます。なお、長嶺按司は伊祖王の次男ということですから、浦添の英祖王系(尚氏の前の中山王家)の南山王に対する最前線、という位置づけなのだと思います。ただ、別の伝説では、長嶺按司がチャイナから砂糖のつくり方を移入した、とか、南山王に即位した、とも言われ、そうだとすると南山王側の最前線になります。

ここを昇ると「見張り台」のようです。いまは草が繁っていて、見通しが全くききません。

〇根差部(ねさぶ)・・・長嶺から国分川に降りる途中にある村です。

・ウガンヤマ(ビジュルウタキ)

むかしは集落の一番高いところにあり、鬱蒼とした丘(嶽)だったのだと思いますが、今は公園の中にある小さな小山です。でもこの上にガマがあって、そこから毎年お祀りの時には神さまが出てきていたのでしょう。周辺にアガリ(東)カーなどもあります。

・根差部のトン

向こう側の祠の中には、かっこいい「板碑」みたいな石が収められています。

・アメチヂウタキ

雨乞御嶽という漢字表記のようです。

・ウブカー

向こう側のがウフ(大)カーでこちら側のがウブ(生)カーです。

・シーサー

北西側を向いて、奥武山のくじら岩を警戒しているそうです。

・イリ(西)カー

立ち入り禁止です。

〇漫湖 ・・・ 関西人なんで大丈夫です。漫湖ちゃん、とか、漫湖国際ラムサール条約、などなんでも言えます。

マンブローブの向こうが豊見城グスク跡。沖縄戦時の軍病院跡として、あちこちに壕が遺っているそうです。ふつうに行っても発見できませんが。

水鳥・湿地センター。このあたりまで来て熱中症的症状を起こす。日ざしがないので大丈夫と思っていたのですが、湿気が多くて体力をどんどん奪われたのでしょう。自販機も無いし。

せっかく来たので木道を歩いてみます。このあたりは豊見城のハーリーの発着場でもあるそうです。

雨が当たるんですが、涼しくならないんですよね。泥の中に無数のシオマネキみたいなカニとハゼみたいなぴょんぴょん跳ねる魚がいるのが見えます。流れてきたゴミもたくさんあります。

〇県立美術館 ・・・沖縄美術会展示会、企画展「芭蕉布」

そのあとルートビアを飲んだりして、県立美術館へ。

ネコノルマも達成!首里ネコりりーさんだ。

会うとすぐに「尻叩け」要請だ。今回は二日にわたって延べ5時間の尻叩き。

叩いているとよくこんなになります。(これでもおしりから手を放していると睨んできます。)

最近はこの場所がお気に入りらしい。この態勢でも叩かされます。こうやって見るとかなりかわいいネコなのですが、いかんせん気が強くて、この後、頭をがじがじと噛まれた。

また来月ニャ!

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