鬼在臆中(鬼、臆中に在り)(「宣室志」)
みなさんのはどこまで入っているかな。

こんなの入っていたらたいへんだ。体が重くてのそのそしてしまう。
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春秋・魯の成公の十年(前581)、晋の景公が病んだ。
求医于秦。秦伯使医緩為之。
医を秦に求む。秦伯、医緩をしてこれを為さしむ。
そこで、秦の国に医者を派遣してくれるよう依頼した。秦の君主は、医師の緩(かん)を遣わして、診察させることにした。
この医師がまだ到着していない時に、
公夢疾為二豎子。
公、夢に疾の二豎子と為るをみる。
晋公は、病気が二人の子どもになっている夢をみた。
一人が言うに、
良医也。懼傷我。焉逃之。
良医なり。我を傷めんことを懼る。いずくにかこれを逃れん。
「今度来るのはいい医者だぞ。おれたちはやっつけられてしまうのではないかと心配になってしまう。そいつから逃れるためにはどこに行けばいいだろうか」
もう一人が言った、
居肓之上、膏之下、若我何。
肓(こう)の上、膏(こう)の下に居れば、我をいかんせん。
「横隔膜の上、心臓の下に居れば、おれたちをどうすることもできまいよ、うっちっち」
と笑っている夢であった。
夢から覚めて、やがて秦から派遣されてきた医師が診察に来た。
医師は診察して、居住まいを正して曰く、
疾不可為也。在肓之上、膏之下。攻之不可、達之不及、薬不至焉。不可為也。
疾は為すべからざるなり。肓の上、膏の下に在り。これを攻むれども不可、これに達するに及ばず、薬すれども至らず。為すべからざるなり。
「申し訳ございませんが、この御病気はお治しできません。病が横隔膜の上、心臓の下にあります。このは、治療することができず、(鍼で)そのあたりまで達することはできますがどうしても届きません。薬を使っても効果は行きわたりませんから、治癒できません。どうしようもないのです」
公は言った、
良医也。厚為之礼而帰之。
「良医なり」と。厚くこれがために礼してこれを帰らしむ。
「これはいい医者だぞ。よくぞ診たてた」と。そして、この医師に厚く礼物を贈って、秦に還らせた。
と、「春秋左氏伝」成公十年章に書いてあります。いわゆる「病、膏肓に入る」の語源ですね。
何故病気になったか、とか、このあとの展開なども興味深いのですが、それはそれとしまして、唐の天宝年間(742~756)のこと、
有渤海高生者、亡其名、病熱而脊。
渤海の高生なる者有り、その名を亡(わす)るも、病熱して脊したり。
遼東・渤海の高生というひとがいた。名の方は忘れた。彼が熱病に罹ってひどく痩せてしまった。
其臆痛不可忍、召医視之。
その臆、痛くして忍ぶべからず、医を召してこれを視る。
胸が痛くて、ガマンができない。医者を連れてきて診察してもらった。
医者は言った、
有鬼在臆中。
鬼の臆中に在る有り。
「妖怪が胸の中におります」
「妖怪? ・・・それではどうしようもないなあ・・・」
医者は言った、
薬亦可療。
薬もまた療すべし。
「いやいや、これは薬で治りますよ」
そして、
於是煮薬而飲之。
是において、薬をを煮てこれに飲ましむ。
そして、薬を調合してくれたので、これを早速煎じて飲んだ。
忽覚臆中動揺、有頃嘔涎斗余。
忽ち臆中に動揺を覚え、有頃にして涎斗余りを嘔く。
突然、胸の中が何かぐらぐらしはじめ、しばらくして、唾液を6リットル余り吐きだした。
と、
其中凝固不可解。以刀剖之、有一人自涎中起。
その中に凝固して解くべからざるあり。刀を以てこれを剖(さ)くに、一人の涎中に起つ有り。
その中に、固まって溶けないものがあったので、刀でそれを切り裂いてみた。すると・・・小さな人間が出てきて、唾液の中に立ったのであった。
初甚幺麼、俄長数尺、高生欲苦之、其人起出降階、遽不見。自是疾癒。
初め甚だ幺麼(ようま)なるも、俄かに長数尺となり、高生これを苦しめんと欲するも、その人起ちて出でて降階し、にわかに見えず。これより疾癒えたり。
「幺麼」(ようま)は微小なこと、微小なもの。
その人は、はじめは極めて小さかったのだが、あっという間に数尺(1メートル近く)になった。高生は(自分が苦しめられたので)こいつをいじめて苦しめようと思ったが、その人はひょい、と立って、庭へ降りる階段を降り、そのままあっという間に見えなくなってしまった。これで病気は治ったのであった。
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唐・張讀「宣室志」巻十より。これが夢に出てきた「疾」の子どもかも。唐の人は、薬が効いてよかったです。さて、みなさんの胸には、どんな妖怪が入っていますか。カネ? 地位? 名誉? ・・・治るやつかな。
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