9月29日 少なくとも知識人の性は悪なり

則四寸耳(すなわち四寸のみ)(「荀子」)

ほんとに最近忘れっぽいので、すぐに人に言っておかないと。

価値観がどのように変わろうともおれたちは存在しているぜ。(コロポックルとキジムナーは妖怪ではありません。精霊です)

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戦国の時代、たいへん人気のあった荀子(荀卿、孫卿)の教えをちょっと読んでみたので、忘れないうちに言います。

君子之学也、入乎耳、箸于心、布乎四体、形乎動静。

端而言、蠕而動、一可以為法則。

端言はふつうは「正しいコトバ」のことですが、ここではそれだと当たり前のことになってしまうので、「端っこ」の方の意味で訳してみました。(杉本達夫訳を参考にしました)

これに対して、

小人之学也、入乎耳、出乎口。口耳之間則四寸耳。曷足以美七尺之躯哉。

「論語」(憲問篇)にもいうとおり、

古之学者為己、今之学者為人。君子之学也以美其身、小人之学也以為禽犢。

故不問而告、謂之傲。問一而告二、謂之囋。傲非也、囋非也、君子如嚮矣。

「傲」は「えらそう」「しゃべりすぎ」、「囋」は「おせっかい」「おべんちゃら」、「嚮」はここでは「響」と同義。

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「荀子」歓学篇より。「荀子」はいまいち「たとえ」がおもしろく無いんです。それは、荀子は戦国の時代の大人気学者で、売り込みに力を費やす必要がなかったから、だろうと思います。もっとおもしろい「たとえ」探そうっと。

この時代には、人間は生まれつきすべてが定まっているわけではなく教育によって善になる、下剋上は当たり前のこと、新しい時代には新しい「礼」と「義」が必要、という荀子の教えは、まさに戦国の為政者たち(とその周辺の知識人たち)が必要としていた社会理論でした。だが、統一王朝ができると、下剋上はあかんやろ、「礼」や「義」はむかしから定まっているはずやろ、人間性は善でその完成形が聖人であり、皇帝さまだろう、それなのになんと荀子は人間性が悪だというのだ、ひどいこと言うなあ、と総攻撃しはじめます。そしてあっという間に「忘れられた思想家」に。
その手のひらの返し方は、学問の本質や知識人の言論とはつねにそんなものだ、と知らないで見るとびっくりしてしまうぐらい。現代のみなさんはみんなご存じでしょうけど。

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