無薬可治(薬の治すべき無し)(「墨余録」)
国民を信用して本当のことを話してくれる、そうです。みんな笑って暮らせる社会にしてくれる、かも知れません。「いまだけ、カネだけ、自分だけ」の貪欲礼賛はもうしない、ということでいいのかな。

みんな仲良く。
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むかし、といっても今(清末)から数十年ほど前のことですが、呂某という読書人がいた。同郷に女性がいて、この女はこれまで五人の夫から離縁されたというこわもて(「暴戻」)だったが、
慕其有遺資而納焉。
その遺資有るを慕いて納る。
遺産をずいぶん持っている、というのが気に言って、結婚した。
呂が死んだ時、その妻との間に娘が一人あった。
凶悍過其母、里中莫敢与婚。
凶悍その母に過ぎ、里中にあえてともに婚するなし。
やばくて気が強いのはその母親以上というので、郷里にこれと結婚しようというつわものはいなかった。
ところが、楊沢隆という秀才(地方の学生)が、
素以剛自負、且妄意呂無子而多蓄。
もと剛を以て自負し、かつ妄りに呂の子無くして蓄わえ多きを意う。
もともと強気なのを自負していたが、呂が男の子無く死んで、家の蓄えがずいぶんあるというのを想像してその気になった。
呂家の財産に興味のある楊は、呂の未亡人(娘の母)の世話を見るということで、楊の方が呂家に入り込むことで合意した。
既合卺、婦呼沢隆前、曰、汝家蒼頭幾何、田園幾何。
既に合卺(ごうきん)するに、婦、沢隆を前に呼びて、曰く、汝が家の蒼頭いくばく、田園いくばく、と。
結婚式が済んで初夜の宵、女の方は沢隆を呼んで目の前に座らせて、言った、
「あなたの家には何人の使用人がいますの? あなたの家の田んぼと畑はどれだけありますの?」
楊具以対。
楊、具さに以て対す。
楊沢隆は、実際のところを答えた。
「これからは助けあって・・・」
と、楊が言おうとした時、女は、
即怒唾其面、曰、吾平日択婿謂何、安所得此窮酸鬼。
即ち怒りてその面に唾して曰く、「吾平日婿を択ぶに何をか謂わんや、いずくんぞこの窮酸鬼を得るところとなれる」と。
すごい剣幕で怒って、沢隆の顔に唾を吐きかけ、言うに、
「あたしはずっとどういうムコがいいかと選んできたのに、どうしてこんな貧乏書生のオバケみたいなのが来たのよ!」
「むむ・・・」
女はさらに激しく罵って、言うことも聴こうとしないので、
澤隆唯唯退。
沢隆、唯唯として退く。
沢隆は黙って引き下がった。
これが初夜だったのである。
そうはいっても夫婦になった以上、だんだんと心も通ずるかと思ったが、
居漸久、反目無虚日、楊致徙図書於百里外、不復顧薪水。
居ること漸く久しきに、反目虚日無く、楊、図書を百里外に徙すを致し、また薪水を顧みず。
しばらく同居していたのだが、毎日毎日怒鳴り合いである。楊はついに書籍類を数十キロ離れたところに写し、(勉強すると称して)そちらに行ってしまい、呂家の薪や水を運ぶ(ような家事の世話をする)ことはしなくなった。
及呂偵知其所、往捜之、復遠遁。
呂のその所を偵知し、往きてこれを捜すに及ぶや、また遠く遁る。
呂家の方はその所在を探し、ついにだいたい突き止めて近所まで来た、と知ると、楊はまた転居した。
それほど恐れていたのである。
呂怒無所泄、遂毀其室。場有牛、立以鉄鉏撃死。牛子顧母、随手撲亦斃。
呂、泄すところ無きを怒り、遂にその室を毀つ。場に牛有るに、立ちどころに鉄鉏を以て撃死す。牛子母を顧みるに、随手して撲ち、また斃る。
呂は、楊の行き先を洩らす人が無いので激怒し、とうとうそれまで住んでいたという家を壊してしまった。さらに、その家の庭にウシがいたが、あっという間に鉄のスキで打ち叩いて殺してしまったのである。子牛が殺された母ウシの方に寄り添ったところ、呂はさらに腹を立てて、素手でぶん殴って、これも殺してしまった。
すごい人なんです。楊なんかが太刀打ちできる相手では無かった。
旋訟夫於庭、邑宰判令離異。
旋ち夫を庭に訟うるに、邑宰判じて離異せしむ。
家に帰るや、役所に夫が帰ってこないので帰って来させるよう訴え出た。だが(、事情を知っている)県知事は、互いに離れているように判決を下したのであった。
・・・ここまではよかったのですが、
而学官竟以行劣上聞、澤隆自此永錮矣。
而るに学官、ついに行劣を以て上聞し、沢隆これより永錮さる。
ところが、地域の学校を監督する学官(教育委員長)は、沢隆の行動は卑劣であるとして都に報告した。このため、沢隆は(事情を知らない中央の指示により)捕らえられ、呂家に監禁されてしまったのである。
ああ!
夫婦居五倫之一、玆竟如仇敵。然揆其禍、本皆基於一念之貪也。故特書以為戒云。
夫婦は五倫の一に居るに、ここについに仇敵の如し。然るにその禍を揆(ひら)くは、もとみな一念の貪ぼりに基づけり。故に特に書して以て戒めと為す、と云えり。
夫婦は(君臣、父子、兄弟、朋友とともに)五つの大切な人間関係の一つである。その二人がこうやってついに仇敵にようになってしまったのだ。しかし、そのわざわいをもたらしたものは、両者の心の中の貪欲から始まったのだ。そこで、(下らん田舎の話ではあるが、)特にここに記して、みなさんの戒めとしようとするのである・・・というようなことで、伝わった話だ。
(自分の記録ではない、と何やらごまかしています。こう書いた方が客観的なお話に見える、という約束ごとがあるのでしょう。「なんだ、それ?」と思うかも知れませんが、東洋の昔のひとのやることですから、あまり気にしないでください。)
以上、
雨蒼氏(←作者の自称)曰く、
諺有頑妻劣子、無薬可治。聞此足発深省。殷鑑雖明、貪心難化、紛紛者皆楊生類也。
諺に「頑妻劣子は、薬の治すべき無し」と有り。これを聞けば深省を発するに足る。殷鑑明らかなりといえども、貪心化し難く、紛紛たるもの、みな楊生の類なり。
俗にいう言い回しに、「かたくなな女房やおろかな息子を持つ(という病いに罹る)と、どんな薬でも治すことができない」という。この言葉を聴けば、深く考えてみる必要があろう。ところが、「周王国は、殷が滅びた原因を鏡として見ていればよかったのに、結局同じ原因で滅んでしまった」といわれるように、どんなに前の人の失敗の原因が明らかでも、貪欲な心は直すことができない。楊沢隆のようなやつらは、次々と現れるのである。
ああ!
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清・毛祥麟「墨余録」巻十より。貪欲でさえなければシアワセになれるはず。わしはもうダメかも知れませんが、みなさんはシアワセになってくだされ・・・。
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