9月26日 孤立した高齢者のところを訪ねてくれた

所謂一物(いわゆる一物)(「韻語陽秋」)

これは必要ですね。

でも最近電子マネーなんじゃろうなあ。

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宋の蘇東坡が海南島に流されていたときのこと、葛延之という若いもんが訪ねてきた。

自江陰担簦万里絶海往見。

留一月。

それほど取柄がある、というわけでもない若者だったが、孤立した男性高齢者のところに遠く訪ねてきてくれたのだ。東坡は「作文の法」なるものを教えてやった。

儋州雖数百家之聚、州人之所須、取之市而足。然不可徙得也、必有一物以摂之。

「へー、そんなモノがあるんですか」

東坡は言った、

所謂一物者、銭是也。

銭は大切だぞ」

「な、なるほど」

作文亦然。天下之事、散在経伝子史中、不可徙得、必得一物以摂之、然後為己用。

所謂一物者、意是也。

つまり、

不得銭不可以取物、不得意不可以用事、此作文之要也。

「ふーん」

延之はこれをメモして帰って行った。果たして後半も覚えていたでしょうか。

この葛延之は、

余三従兄。      

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宋・葛立方「韻語陽秋」巻三より。「やっぱり銭やったか」「わてもそうやとおもっとったんや」「こうはしとれへん、はよう銭稼いでこな」みたいにみなさん駆けだしていく後ろ姿が可笑しいほど・・・だったりしませんか。
「韻語陽秋」は「韻語」→詩や詞など、「陽秋」→「陽」は「春」のこと、つまり「春秋」の意、で、合わせて、「詩や詞などに関する歴史書」という意味になります。こんなことも書いてあるんです。平成25年。むかしの人が整理しておいてくれたんだなあ。

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