9月24日 部下の心を得るにはコレよりカネだ

籠絡奇士(奇士を籠絡す)(「郎潜紀聞」)

おれも「籠絡」してみろよ、と言いたいところですね。今さらこんなのもらってもしようがないですが。

砂漠の北からもっと強いの吹かせてみようかなー。

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「籠絡」(ろうらく)は「籠で絡めとる」ということですから、「文字どおり」の言葉です。そのままの意味では、後漢のころには用いられており、当時の大文学者・班固(「漢書」を著わしたので有名)が長安周辺を

籠絡山海。

と称賛した(「文選」両都賦)といった例があります。

これを「人を自分の手の内に絡めとる」と対人関係の用いたのは、ずっと時代が下って、12世紀、北宋の末に権力を掌握した蔡京(「水滸伝」の悪役の一人で有名ですね)が、

得政、士大夫無不受其籠絡。

が、胡安国だけは違った、という「宋史・胡安国伝」に出てくるのがどうも最初らしい。

さて、清の乾隆時代、ジュンガルとの戦を指揮した超勇親王・策浚さまは、

威震漠北。其部下侍衛綽克渾、能一昼夜行千里、立功最多。

ある日のこと、

王与之飲酒。

これだけでも親王が如何に部下と心を開いて付き合っていたか分かるというものでございますが、

酒酣、綽克渾曰、請王侍姫為奴舞剣、奴請為王歌。

そう言うと、

乃歌、朔風高。

かっこいい、おそらく軍歌の一種だったのでしょう。

「これはいいぞ!」

王大喜、以侍姫賜之。

「後でじっくり舞わせてよいのだぞよ」

「ええー! ほんとにいいんですかあ! 親王さま、さいこーです!」

ああ。

自古雄駿非常之士、往往貪財好色、逾越準縄。

それを押さえ込むことで不満をもたらしたり、上司と不仲になったりするものである。しかるに、

王佐命勲戚、不惜一婦人、以籠絡奇士。洵豪傑挙動哉。

感動した!

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清・陳康祺「郎潜紀聞」四筆巻五より。いろいろ突っ込みたいところもあるかも知れませんが、「がははは、さすがですなあ!」と言っておくと、天下の奇士にしてもらえるかも知れません。公務員の離職対策の参考になるのでは、と提案してみようかな・・・もちろんジョークですよ。うっしっし。

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