籠絡奇士(奇士を籠絡す)(「郎潜紀聞」)
おれも「籠絡」してみろよ、と言いたいところですね。今さらこんなのもらってもしようがないですが。

砂漠の北からもっと強いの吹かせてみようかなー。
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「籠絡」(ろうらく)は「籠で絡めとる」ということですから、「文字どおり」の言葉です。そのままの意味では、後漢のころには用いられており、当時の大文学者・班固(「漢書」を著わしたので有名)が長安周辺を
籠絡山海。
山海を籠絡せり。
山も海(のような平地)も一つのカゴに絡めとってしまったような地形だ。
と称賛した(「文選」両都賦)といった例があります。
これを「人を自分の手の内に絡めとる」と対人関係の用いたのは、ずっと時代が下って、12世紀、北宋の末に権力を掌握した蔡京(「水滸伝」の悪役の一人で有名ですね)が、
得政、士大夫無不受其籠絡。
政を得るに、士大夫のその籠絡を受けざる無し。
政権を得ると、当時の官僚や知識人で、彼の手の内に絡めとられなかったひとはいなかった。
が、胡安国だけは違った、という「宋史・胡安国伝」に出てくるのがどうも最初らしい。
さて、清の乾隆時代、ジュンガルとの戦を指揮した超勇親王・策浚さまは、
威震漠北。其部下侍衛綽克渾、能一昼夜行千里、立功最多。
威、漠北に震えり。その部下、侍衛・綽克渾、よく一昼夜に千里を行き、功を立つること最も多し。
その威厳は、ゴビ砂漠の北まで震え上がらせたといわれます。その部下に、親衛隊員の綽克渾(しゃくこくこん)という士官がおり、彼は一昼夜の間に千里(600キロメートル)を走破するという能力の持ち主で、偵察や連絡に隊内でも最多の功績を挙げていた。
ある日のこと、
王与之飲酒。
王、これと飲酒す。
親王は、こいつと酒を飲んだ。
これだけでも親王が如何に部下と心を開いて付き合っていたか分かるというものでございますが、
酒酣、綽克渾曰、請王侍姫為奴舞剣、奴請為王歌。
酒酣なわにして、綽克渾曰く、「請う、王の侍姫をして奴(ど)がために舞剣をなさしめよ、奴請う王のために歌わん」と。
かなり酔っぱらったころ、綽克渾が言い出した、
「親王さま、わっし、親王さまのために一曲歌います。そこに侍っておられる美しい侍女さまに、わっしの歌に合わせて、剣舞でもさせてくだされや」
そう言うと、
乃歌、朔風高。
すなわち「朔風高し」を歌えり。
すぐに、「砂漠のかなたから吹く風に立ち向かえ」の歌を歌い出した。
かっこいい、おそらく軍歌の一種だったのでしょう。
「これはいいぞ!」
王大喜、以侍姫賜之。
王大いに喜び、侍姫を以てこれを賜う。
王はものすごくお喜びになり、侍っておった愛姫をその場でお与えになった。
「後でじっくり舞わせてよいのだぞよ」
「ええー! ほんとにいいんですかあ! 親王さま、さいこーです!」
ああ。
自古雄駿非常之士、往往貪財好色、逾越準縄。
いにしえより雄駿非常の士、往往にして財を貪り色を好み、準縄を逾越す。
はるかな昔から、力ある駿馬のような有能なサムライは、財産を欲しがったり女にのめりこんで、一線を超えて振る舞うことが多い。
それを押さえ込むことで不満をもたらしたり、上司と不仲になったりするものである。しかるに、
王佐命勲戚、不惜一婦人、以籠絡奇士。洵豪傑挙動哉。
王は佐命の勲戚にして、一婦人を惜しまず、以て奇士を籠絡す。洵(まこと)に豪傑の挙動なるかな。
親王さまは、さすがは国家を助ける勲功ある皇族の方であられる。女の一人など惜しみもせずに、すごいサムライを籠絡してしまったのだ。ほんとうに豪傑の振る舞いであるといえよう。
感動した!
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清・陳康祺「郎潜紀聞」四筆巻五より。いろいろ突っ込みたいところもあるかも知れませんが、「がははは、さすがですなあ!」と言っておくと、天下の奇士にしてもらえるかも知れません。公務員の離職対策の参考になるのでは、と提案してみようかな・・・もちろんジョークですよ。うっしっし。
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