迢迢新秋夕(迢迢(ちょうちょう)たり新秋の夕べ)(「陶淵明全集」)
お彼岸中日過ぎて、やっと涼しくなってきました。来週また暑くなる、という予報もあるようですが、大丈夫です。がんばりましょう。

実りの秋じゃ。とりあえずは、食べて応援、しかないか。
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南朝宋の義煕四年(408)、地方官を辞めて郷里に帰ってきたわしであったが、真夏の六月(旧暦)、火事にあって林の中にあった家が焼けてしまったんじゃ。
一宅無遺宇、舫舟蔭門前。
一宅の遺宇無く、舟を舫いて門前に蔭(やど)る。
建物はきれいさっぱり無くなってしまったので、しようがないので家の前の小川に舟を舫って、そこに暮らしています。
夏が過ぎて、やっと秋がやってきました。
迢迢新秋夕、亭亭月将円。
迢迢たり新秋の夕べ、亭亭として月まさにまどかならんとす。
「迢」は「遥」と同じで、遠い、はるか。ここは秋の夜が長くなってきたことをいうらしい。「亭」は一定の区間ごとに建てられた宿所をいうことから、高くそびえる、遠く離れている、などの意味になります。ここでは月のことを言っているので、「はるかに高い」ということでしょう。
ゆったりと夜が長くなってきた、秋の初めの宵、高々とはるかに昇る月はもうすぐ満月らしい。
果菜始復生、驚鳥尚未還。
果菜は始めてまた生ずるも、驚鳥はなおいまだ還らず。
果物や野菜は、やっとまた生えてきたが、火事に驚いて逃げて行った鳥(つばめか?)はまだ帰って来ない。
とはいえ、火災の被害からは大分立ち直ってきました。
中宵佇遥念、一盼周九天。
中宵に佇みて遥かに念(おも)うに、一盼(いちはん)に九天を周(めぐ)る。
夜中、ぼんやりと突っ立っていろんなことを考えていると、目をひとめぐりさせただけで、天上のすべてをぐるりと回ってきたようだ。(星空がよく見えるなあ)。
「盼」(はん)は目の白いところと黒いところがはっきりしていること、が原義ですが、ここでは目を見張ってひとまわり見る、ということでしょう。
いろんなことを考える―――
総髪抱孤介、奄出四十年。
総髪にして孤介を抱き、たちまち出でて四十年なり。
まだおかっぱ頭にしていたころから、わしは孤独で偏屈な心を持っていた。そのわしが家から社会に出てあっという間に四十年じゃ。
その間も、
貞剛自有質、玉石乃非堅。
貞剛おのずから質有りて、玉石もすなわち堅きに非ず。
気持ちを曲げず剛直なのはわしの本来の性格なのであろう、玉や石でさえも、この強情な心に比べれば堅いとは言い切れないほどであった。
そういう気持ちが変わらないので、世間と折り合うことができずに、ついに帰郷してきたのだ。
仰想東戸時、余糧宿中田、鼓腹無所思、朝起暮帰眠。
仰いで想う、東戸の時、余糧は中田に宿(しゅく)し、鼓腹して思うところ無く、朝たに起きて暮れには帰りて眠るなり。
あこがれの気持ちで思うのは、超古代に東戸侯という君主がいて、彼が世を治めていたときには(道に落ちたものも誰も拾わず、)食糧は余って、真ん中の田に集めて所蔵し、ひとびとは満腹した腹をたたいて何の憂いも無く、朝起きて耕作をして、夕方は帰ってきて寝るだけだったということだ。
田畑を九つに分けて、八戸の農家が耕します。まわりの八つの区域は、各農家が自分で耕して、その収穫物は自家で用いる。真ん中の一画は八戸で協力して耕して、ここの収穫物を税金としてみんなのシアワセのために使う―――というのが、古代の理想的な税制とされる「井田法」(九つに分けると「井」になる)です。東戸侯の領地では、政府が税金を使わないので、真ん中の田んぼの収穫がどんどんたまっていったというのである。
しかしながら、
既已不遇玆、且遂灌我園。
既已(すで)に玆(ここ)に遇わず、しばらくは遂に我が園に灌がん。
わしらの時代はもうそんな時代ではない(。支配、収奪、資本主義、パワハラ、自己責任の世の中じゃ)。しばらくはわしの畑に水撒きをして過ごそう。
ツラい仕事をしなければなりません。だが、宮仕えをしていたときよりはよいなあ。
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南朝・陶淵明「戊申歳六月中遇火」(戊申歳の六月中に火に遇えり)より。やっと立ち直って、暑い日々が過ぎて、涼しくなってきました。復興中にまた大雨降ってくるとがっかりです・・・が、がんばりましょう。
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