9月21日 能登は今度は大雨ですか

言下立悟(言下に悟りを立つ)(「虞初近志」)

東京は今日はやっと涼しくなりました。岡本全勝さんがイギリスに行ってたみたいです。湖水地方にネッシーを見に行ったのでしょうか。ネッシーなんかほんとはいないんですよ。

ぴーたーラビットはドウブツ愛護でSDGSですぐれているトナ。LGBTQについてはどうカイ? 保守的トナ?
おれはクリスマス前後しか働かない働き方改革トナ?
かなり意識高いカイ?

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こちらはチャイナの十九世紀の終わりから二十世紀にかけてのころのことですが、

京師御者高七、性兀傲好鬥、鬥必以勝為快。少経撓挫、則終日尋讐不休、必至勝乃已。以是人多畏之。

乱後、為某国公使御者、擁蓋策羸、意気頗自得。

ある日のこと、

出前門路窘不能方軌、適前有一老者策笨車、逡巡不前。

「笨」は「粗い、粗末な」。

高七怒目叱之、曰、誰何之車、乃阻人道不速行。将鞭汝。

老者唯唯微哂。

そして言った、

此却為我自己車。非他人車也。汝今日藉外人之勢以鞭我、我安敢不順受。

今日のところは、打つなら打たれておきましょう。だが、おまえさんのやっていることが一体だれを利し、誰に損を与えているのか、お考えになってみるがよい―――。

「むむむ・・・」

其語頗雋利。高七無以応、悒悒不楽。

「雋」(しゅん)は「するどい、切れる」。

そして、

経数日、即入西山某寺、剃度為僧。

家族にも何の相談も無かったのである。

僕人李升、与七為戚属、曾携其子往西山、視之。

登場に脈絡が無いので、おそらくこの李升がこのお話の情報元ではないかという気がします。
なんとか探し当てて、

見七端居一暗室、閉目趺坐、問之始終無一語。

ああ。

此御者能言下立悟、登時放棄一切。其根気自必非凡、遠過於晏子之御、僅以大夫終也。

大貴族より悟りがいい、という考え方には、同意。

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民国・狄葆賢「記御者高七」(御者高七を記す)(民国・胡懐琛編「虞初近志」所収)。高七はおそらく意識高かったんです。現代ならグローバリストになって尊敬されていたかも。しかし、百年と少し前はすぐれた意識の高い思想が無かったので、しようがないので悟ったのでしょう。
ちなみに、このにやにやしていた老人が、実はわたしだった―――かもしれないのです。世の中どこに悟りの導き手がいるかわからないので、ひとは大切にしましょう。わしももっと大切にしてくだされ。

有名な「晏子の御者」の話は前の肝冷斎の時代にしたことがありますがしてなかったらします。そのうち。

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