采薬不反(采薬して反らず)(「後漢書」)
月中では霊薬(不思議なくすり)が舂かれているのです。・・・と中国のえらい人が言ってた。

みんなで搗いてタヌキの肉団子も作るよ。
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後漢も終わりに近いころ、南郡・襄陽の町に龐公と呼ばれる隠者がおった。
居峴山之南、未嘗入城府。夫妻相敬如賓。
峴山の南に居りていまだ嘗て城府に入らず。夫妻相敬すること賓の如し。
峴山の南麓に住んでいて、一度も市街地には入ってこない。夫婦が互いに、まるでお客人であるかのように敬いあう。
というので有名であった。
荊州の刺史・劉表がしばしば召したが、
不能屈、乃就候之。
屈する能わず。すなわち就きてこれを候(うかが)う。
言うことを聞いてくれない。そこで、自分で出かけて行って、顔色を見て言った。
夫保全一身、孰若保全天下乎。
それ一身を保全すること、天下を保全するに孰れか若かんや。
「さて、自分ひとりが安全に保たれることと、天下を安全に保つことと、どちらが重要でしょうか」
と。さあ、わたしと一緒に天下を安んじましょう、というのである。
こんなふうに言われたら、反論する理屈も作れないし、舌もうまく回らないし、下を向いて「へ、へえ」と従ってしまって後で痛い目に遭うのが我らですが、龐公はにこにこ笑って答えたんじゃ。
鴻鵠巣於高林之上、暮而得所栖。黿鼉穴于深淵之下、夕而得所宿。
鴻鵠(こうこく)は高林の上に巣して、暮るるも栖むところを得。黿鼉(げんだ)は深淵の下に穴して、夕べにも宿するところを得たり。
「おおとりは、高い林の木々の上に巣を作って、それでようやく日が暮れても休む場所がありますのじゃ。巨大すっぽんやワニは、深い淵の水面の下の洞穴に住んで、それでようやく夕べに眠る場所ができるのですじゃ。
其趣舎行止、亦人之巣穴也。且各得其栖宿而已。天下非所保也。
それ、趣(おもむ)き舎(お)き行(ゆ)き止(とど)まるはまた人の巣穴なり。しばらくおのおのその栖宿を得るのみ。天下は保つところに非ず。
さて、そこで、そちらの方に寄って行く・放っておく・行動する・止めておく、これらの行動は、人間にとっての巣や穴ですからな。どの行動を採用するかで、休み眠る場所を確保できるかどうか、というだけなのですじゃ。天下を安全に保つ、というのはわしなどのすることではござらぬ」
「むむむ」
因釈耕於壟上、而妻子耘於前。
因りて釈して壟上に耕やし、妻子は前に耘(くさぎ)る。
そこで(劉表の相手を)解放されて、畑を耕しはじめた。女房と子どもは、彼の前で雑草取りをしていた。
劉表は労働する妻子らを指さして言った、
先生苦居畎畝而不肯官禄、後世何以遺子孫乎。
先生、苦しみて畎畝に居りて官禄を肯ぜず、後世何を以て子孫に遺さんや。
「先生はこんな苦労をして田畑の中で働き、公けの給与を受けようとなさらない。先生はご子孫に何を遺そうというのですか」
官にお仕えになれば、遺産も名誉も遺せましょう。
龐公はもうにこにこはせず、うるさそうに言った、
世人皆遺之以危、今独遺之以安。雖所遺不同、未為無所遺也。
世人みなこれに遺すに危を以てするに、今ひとりこれに遺すに安を以てす。遺すところ同じからずと雖も、いまだ遺すところ無しと為すにあらざるなり。
「世間の方々はみなさん、子孫に「危険な立場」をお遺しになりますようじゃ。わしだけは子孫に「安全な暮らし」を遺してやろうと思っておりましてな。遺すものは(危険と安全と)違いますが、わしは何も遺してやらん、というわけではないのですじゃ。
はいはい、邪魔じゃ、どいたどいた」
「むむむ・・・はあ」
劉表はため息をついて去って行った。
後遂携其妻子、登鹿門山、因采薬不反。
後、遂にその妻子を携えて、鹿門山に登り、因りて采薬して反らざりき。
その後、とうとう妻子を連れて、より奥の鹿門山に入ってしまい、そこで霊薬の採集に出かけて、そのまま帰ってこなかった。
安全に過ごせてよかったですね。
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「後漢書」隠逸伝より。龐公は、諸葛孔明や徐庶が師事したといわれたり、いやその人は違う人だと言われたりするひとですが、この様子では弟子などいなかったと思われます。ただし、子の龐渙は魏に仕え、後、晋のころに太守にまだなったという。
この人で、「後漢書」逸民伝はおしまいです。
賛曰、江海冥滅、山林長往。遠性風疎、逸情雲上。這就虚全、事違塵枉。
賛に曰く、江海に冥滅し、山林に長往す。遠性は風のごとく疎らに、逸情は雲のごとく上れり。這(こ)の虚全に就(つ)きて、塵枉に違うを事とす。
史家・范曄、彼ら逸民たちをほめたたえて曰く、
川や海に身をくらまし、山や林に行ってしまって帰らない。
世俗から遠ざかろうという性格は、風が吹き去っていくようだし、世間から逸れてしまおという感情は、雲のようにどんどん高く昇っていく。
彼らはかくのごとく何も持たない安全の方に行ってしまい、曲がった塵の世界から離れていくことを選んだのだ。
ああ、かっこいいではありませんか。

「逸民伝」は勉強になったのう。
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