9月17日 中秋の明月です。たしかにでかい。

采薬不反(采薬して反らず)(「後漢書」)

月中では霊薬(不思議なくすり)が舂かれているのです。・・・と中国のえらい人が言ってた。

みんなで搗いてタヌキの肉団子も作るよ。

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後漢も終わりに近いころ、南郡・襄陽の町に龐公と呼ばれる隠者がおった。

居峴山之南、未嘗入城府。夫妻相敬如賓。

というので有名であった。

荊州の刺史・劉表がしばしば召したが、

不能屈、乃就候之。

夫保全一身、孰若保全天下乎。

と。さあ、わたしと一緒に天下を安んじましょう、というのである。

こんなふうに言われたら、反論する理屈も作れないし、舌もうまく回らないし、下を向いて「へ、へえ」と従ってしまって後で痛い目に遭うのが我らですが、龐公はにこにこ笑って答えたんじゃ。

鴻鵠巣於高林之上、暮而得所栖。黿鼉穴于深淵之下、夕而得所宿。

其趣舎行止、亦人之巣穴也。且各得其栖宿而已。天下非所保也。

「むむむ」

因釈耕於壟上、而妻子耘於前。

劉表は労働する妻子らを指さして言った、

先生苦居畎畝而不肯官禄、後世何以遺子孫乎。

官にお仕えになれば、遺産も名誉も遺せましょう。

龐公はもうにこにこはせず、うるさそうに言った、

世人皆遺之以危、今独遺之以安。雖所遺不同、未為無所遺也。

はいはい、邪魔じゃ、どいたどいた」

「むむむ・・・はあ」

劉表はため息をついて去って行った。

後遂携其妻子、登鹿門山、因采薬不反。

安全に過ごせてよかったですね。

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「後漢書」隠逸伝より。龐公は、諸葛孔明や徐庶が師事したといわれたり、いやその人は違う人だと言われたりするひとですが、この様子では弟子などいなかったと思われます。ただし、子の龐渙は魏に仕え、後、晋のころに太守にまだなったという。

この人で、「後漢書」逸民伝はおしまいです。

賛曰、江海冥滅、山林長往。遠性風疎、逸情雲上。這就虚全、事違塵枉。

ああ、かっこいいではありませんか。

「逸民伝」は勉強になったのう。

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