9月13日 帰京して美味いすし食った、その結果

展両手(両手を展(の)ぶ)(「碧巌録」)

東京に帰ってきました。また体重がこんなことに。本来無一物。なのに何故増えるのか。

本来無一物。わかっておったら払うのだ!

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五代のころ、雲門文偃(うんもん・ぶんえん)のところに、修行僧がやってきました。

雲門問う、

近離甚処。

僧は答えた、

西禅。

この人がどんな人か、すぐに調べられないので、眠いから今度調べておきます。

雲門また問うた、

西禅近日有何言句。

これは、相手の僧の問題意識を見極めるための常套句です。

すると、

僧展両手。

答えとしてはなかなかすばらしい。これを見て、

門、打一掌。

僧は言った、

某甲話在。

「某甲」(甲なにがし)は、禅僧の一人称です。

ここまでは何か考えてあったのでしょう。だが、「話せ」とかなんとかいう前に、

門卻展両手。

僧無語、門便打。

パワハラです。だが、これが相手を悟らせるための親心なのだ・・・というのは、近年はもう許されることではありませんので、批判の電話が鳴り響きます。禅の本もおちおち読んでいられなくなったか。

宋に入って雪竇重顕(せっちょう・じゅうけん)禅師が評して「頌」を付けていますが、これが気が利いている。

虎頭虎尾一時収、凛凛威風四百州。

ほどのすごい剣幕だ。

卻問不知何太嶮。師云、放過一著。

この答えはお前が考えるのじゃ。

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「碧巌録」(「雪竇頌古」)第五十四則。第四句はみなさん、考えてみてください。ぽくぽくぽくぽく・・・と考えて考えて、もうどしようもなくなったら、ちーん、「あ、そうか」と突然すぱりと割れて分かる・・・らしいんです。

「おれ、現代人だし新自由主義者だから、カネだけ今だけ自分だけ、以外のことは考えない」

と思ってても、「試験に出るかも」と言われた瞬間に、「正解」を探し始めるのでありませんか。何の試験か知りませんけど。

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